「コロナで公演ができず運営も厳しい状態になっても梅沢さんはテレビの仕事で稼いだギャラで、劇団スタッフの給料を支払っていたんです。それでも先が見えない不安が募って、劇団を辞めていく人もいた。梅沢さんも一時は“もう無理だ”と弱音を吐くこともあったようです」(スポーツ紙記者)
逆風のなか、ガムシャラに働いた。それは梅沢が胸に秘めたこんな思いがあったからだと、前出の劇団スタッフ。
「頑張って踊るよ」
「病院を退院したばかりの武生さんが思うように動けなくても、梅沢さんは“もう引退しなよ”なんて言うことは決してありません。どうやったら舞台に立てるか、どうしたら成立するかを考えるんです。
武生さんは“死ぬまで舞台に立ち続けたい”と話していましたし、それは梅沢さんも同じ。きっと“兄貴の死に場所は俺が残す!”と思っているはずですよ。母親の死に目にも公演で会うことが叶わなかった。それが幼いころから旅一座で生まれ育った人の生きざまなんです」
兄のために劇団を守ってきたはずが、肝心の兄がついに倒れてしまったのだ。きっと梅沢も気が気でないはず。冒頭のラジオ出演を終え、車に乗ってラジオ局から出てきた梅沢に声をかけて話を聞いた。
─お兄さんが入院されたと聞いたのですが。
「あぁ、はい。でも大丈夫ですよ。もう退院してるんじゃないかな。新春公演には出ますから」
─コロナ禍で大変だったと思いますが、それでも劇団を支えたのは、舞台というお兄さんの戻る場所を守るため?
「そうですね。兄のためもありますし、なにより親父がつくった一座を守らなければいけないですから」
優しい笑顔を浮かべて『週刊女性』の取材に答えてくれた。
梅沢のマネージャーは、
「武生は、すでに退院しておりますが、まだまだ舞台に出たいと言っています。これまで何度もがんを患っていますので、だからこそ次の舞台までには、きちんと治療しなければいけません。1月に『明治座』で行う公演では、兄弟ふたりで踊る相舞踊を披露する予定です。武生も“頑張って踊るよ”と言っておりますので、楽しみにしていただければ」
兄と弟の“夢芝居”は、まだまだ続く─。