介護や看取り。これまでの親子関係がうまくいっていない場合、寛容になれず、葛藤を抱える人は多い。そして親の死後、取り返しのつかない“後悔の種”となり苦しむケースも。母娘の呪縛に悩んだというおおたわ史絵さん(57)に、呪縛からの解放についてヒントをもらった。

「訣別がわりの“ありがとう”しかし今も呪縛は残る」……おおたわ史絵

 小学生のころから、麻薬性鎮痛剤の薬物依存に陥っていた母親と過ごしてきたおおたわ史絵さん。何度も「今度こそ薬をやめる」と言う母に裏切られ、成人後も実家に顔を出せば「おまえなんか死ね」と罵声を浴びせられてきた。その苦しみを、著書『母を捨てるということ』に綴っている。

「母は救急車を呼んで騒いだり、私が父の遺産を奪ったと嘘を周囲に触れ回りました。私は自分の仕事と母のトラブルで疲弊しきっていて、毎晩ベランダでこっそり泣く日々でした」(おおたわさん、以下同)

抜けられない共依存

 母親の依存症治療に奔走したがうまくいかず、“このままではいつか母に手をあげてしまう”と関わりを断つことを決意。

 その際、おおたわさんが口にしたのは訣別がわりの感謝の言葉だった。

“私にひとりで生きていく力と教育を与えてくれて、今までありがとうございました”と伝えました

 当時は実家の病院で診療しており、母と顔を合わせることもあったが、その後は母親を空気のように無視し続けた。

「もっと遠くに離れるべきでした。近くにいればお互い傷つけ合うとわかっているのに。共依存の関係だったんでしょうね」