100万円単位で金額が増えていく
井出先生は自動翻訳を使って、彼と積極的に交流するようになった。
「まずうれしかったのは、彼が私の作品を知っていたことでした。私が描いた『源氏物語』の英訳を、(女優の)エマ・ワトソンにすすめられて読んだことがある、と。私のことを、自立してとても知的な女性だと、褒め称えてくれたのです」(井出先生)
ますます親しくなっていくふたり。“マーク”は井出先生に、次第に深刻な話もするようになっていった。
いわく、妻とはうまくいってなくて、離婚の話し合いをしている。だが離婚が確定するまで、自分の財産や収入を裁判所に差し押さえられることになっている。だからあなたに協力してほしい。
ドバイに(日本円にして)12億円置いてあるので、あなたに送る。離婚が成立したらあなたに半分渡す。ただ、受け取りなどでいろいろ手数料がかかるので、それを立て替えてほしい――。
大切な彼のためならと、井出先生はお金を用意することにした。“マーク”の要求は次第に細かくなっていく。お金はオランダの米国大使館で職員をしている友人が持っていくが、彼らの飛行機代が数十万円。
税関を通るのに、口利き料を支払わなくてはいけないから100万円。彼らの日本国内の移動費が数十万円……。それを、知り合いの日本人の口座に振り込んでくれ、と。そんなやり取りが続いたという。
「証拠だとして、大使館員だという男性が大量の札束の前にいる写真や、その男性のものだという米国のパスポートなどの身分証明書の画像も送られてきました」
その後、“大使館員”は部下をひきつれ、井出先生の自宅にやってきて、 “マーク”から預かったという荷物を見せた。
「私と次女の前で、大使館員は黒く塗られている紙を取り出し、そこに液体をかけました。するとドル札に変わったのです。『こうして規定以上のドル札を持ち込んでくるから、待っていてほしい』と言い、帰っていきました。その際にも彼らに、“マーク”に言われた手数料を100万円ほど手渡しました」
“マーク”からの要求は続く。「妻に見つからないうちに君あてに映画のギャラを送った」「映画祭で受賞した賞金を送った」と連絡が来るも、金はいっこうに入らず、結局は手数料や口利き料を指定先に振り込んでくれ、となるばかり。
“マーク”とのやりとりでは、こんなこともあったという。
「『東京コミコン2019』のゲストにマークが来日するというニュースを見たんですね。だったら会いに来れるでしょうと。“マーク”を責めると『妻にバレたらどうするんだ』と逆ギレされました」
「それ以外でも、マークが移動中に交通事故に遭ったので、手術費用が必要だからと国際送金で金を送ってくれとか。彼は財産を差し押さえられているから、自由に使えるお金がほとんどないのだと言っていました。
3年を過ぎるころからはさすがに蓄えも尽きてきて、お金になりそうなものは片っ端から売ってしまいましたし、ほうぼうからお金を借りました。私は漫画家になって以来、最もお金がない状態になってしまいました……」
完全にマインドコントロールされた井出先生の肩を揺さぶり、なんとかわれに返らせたのは、先生の長女と、長年付き合いのある出版関係者たちだった。
「私に送られてきていたメッセージはアフリカ系の英語で、アメリカ人の使う英語ではなかったそうです。ITに詳しい人からは、送られてきた動画や証明書などの画像がすべて偽物だと説明されました。
私としてもうすうす本物のマークではない、と感じもしていたのですが、『そんなわけない!』と、必死に信じ込み続けようとしていたように思います」