不倫相手の子を「生んでは殺す」
昭和32年に和歌山県で生まれた真梨子は、非常につらい幼少期を送っていた。「置屋(※)」で働く母親のもとで育ったが、家にはしょっちゅう、複数の男性が出入りしていた。小学生のときにその男のうちの一人にレイプされ、以降も性的虐待は続いたという。真梨子は自殺未遂も起こしていた。
中学3年で妊娠。このときは中絶したものの、卒業と同時にその時の交際相手の男性宅で同棲をはじめ、16歳を過ぎて結婚した。
10年間で子どもは4人生まれた。夫の家族は厳しく、日々、真梨子は主婦として、母親としてだけの日々を送っていたが、親切にしてくれた男性と不倫関係に陥ってしまう。
そして、真梨子はその不倫相手の子を身ごもってしまった。
大阪の自宅で出産したが、この子は殺そう、そう決めていた。遺体を衣装ケースに隠すと、真梨子は何事もなかったかのように日常に戻っていく。
こんなことがあったにもかかわらず不倫はやめられず、結果、「妊娠すれば生んで殺して隠す」を、この家で暮らした18年間で3度繰り返した(のちに真梨子はそう自供したが、平成17年の発見時には、大阪の自宅からは3体あるはずの遺体のうち、1体の遺体しか見つかっていない)。
平成2年、離婚が決まった真梨子は部屋に遺体を隠したまま、子どもたちを置いてその家を出た。
ときは流れて平成8年、和歌山市内でホステスをしていた真梨子は、内縁関係を経て9歳年下の男性と再婚する。2人の間には男児も生まれていた。
子煩悩で明るく、仲のいい夫婦と周囲には見えていたというが、真梨子はまたしても夫以外の男性と関係を持つ。そして、不倫相手の子を妊娠してしまった。ひとり自宅で出産した真梨子は、これまでと同じように遺体を家の中に隠し、夫との生活を続けたという。
しかし平成17年、真梨子は息子を連れ、突如夫と暮らすマンションから姿を消す。押し入れの秘密はそのままにして。その後、夫が事故死したことで関係者が自宅の整理に訪れ、遺体が発見されたのだった。