2位から4位に名前を連ね、世界からも高く評価される日本男子フィギュア。しかし、3連覇を目指していた羽生にとっては苦い結果となった。ショートでまさかのアクシデントがあったが、メダルの可能性は十分にあった。

「4回転アクセルではなく、ほかのジャンプにしていれば、メダルは獲っていたと思います」(佐野さん)

 では、なぜメダルを獲るための定石を外したのか。

「“4回転アクセルをやったうえで勝ちに行く”と明言していましたから、やらなかったら“羽生結弦”をやめることになります。そんなことは彼自身、望んでいないのです」(佐野さん)

 まだ幼かった羽生を近くで見てきた山田コーチは、そんな彼を称える。

目指すべきところはメダルではなかったんでしょうね。失敗のおそれがあっても4回転アクセルをやるという彼のすごさ。“よくやった!”と思って泣きそうになりました」

 羽生を“夢”へと導いた都築コーチも続ける。

「メダルと挑戦、どちらを目指すかの選択があったと思います。そこであえてメダルを捨てて、自分の理想とする目標に向かったことには驚くばかりです」

宇野と鍵山を成長させた羽生の背中

 挑戦したのは、羽生だけではない。

北京五輪公式マスコット『ビンドゥンドゥン』を手に、国旗を背負う宇野昌磨(左)と鍵山優真(右)(JMPA代表撮影)
北京五輪公式マスコット『ビンドゥンドゥン』を手に、国旗を背負う宇野昌磨(左)と鍵山優真(右)(JMPA代表撮影)
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「鍵山選手は、2021年12月の『全日本選手権』では構成に入れていなかった4回転ループを、新たにフリーに組み込みました。成功率が高いとはいえないジャンプですが、北京五輪で表彰台に上るためには、4回転ジャンプの種類を増やすことが必要だと考えたのです」(前出・スケート連盟関係者)

 そして、宇野も。

フリーは、4回転を4種類5本組み込むという、非常に攻めたプログラムです。そこに積極果敢に挑戦して、北京五輪ではふらついたところもありましたが、まずまずなところまで滑りきりました」(佐野さん)

 これらの挑戦が、鍵山、宇野を確実に成長させた。

羽生選手が、どれだけ転んでも、ケガをして身体がボロボロになっても、4回転アクセルに挑戦し続ける背中を見て、突き動かされるものがあったのでしょう。彼のその姿によって、後輩選手たちの士気も上がり、日本の男子フィギュアのレベルの底上げにつながっています」(前出・スケート連盟関係者)

 羽生結弦が挑んだ4回転アクセルは、間違いなくこれからもフィギュアスケート界を牽引する歴史になる。

「挑戦しきった、自分のプライドを詰め込んだオリンピックだったと思います」

 と、北京五輪を振り返る羽生。それでも、羽生と同じ『アイスリンク仙台』を拠点としていた荒川静香のインタビューでは、感極まりながら言葉を紡いだ。

「なんで報われないんだろうなって思いながら、この3日間ずっと過ごしていました。すごく努力したし、苦しかったし、その苦しさがここで報われたかどうかわからないですけど、正直、何も残せなかったなってちょっと思ってますけど、みなさんのなかで、勝敗関係なく、ちょっとでも“羽生結弦のスケートよかったな”って思ってもらえる瞬間があったら、それだけで今日頑張って滑った意味があるのかなと思っています」

 インタビューの最後には、笑顔を見せた。

「自分では褒められないけど、誰かに褒めてもらいたい」

 大丈夫、世界中がゆづを褒めているよ!

佐野稔 元フィギュアスケート選手。'76年インスブルック五輪に出場経験があり、'77年世界選手権では3位となった。現在は複数のメディアでフィギュアスケートの解説をしている