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ー 渡哲也さんとの相席

 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、食にまつわる出会いと岸田今日子さんの食べっぷりについて言葉を紡ぐ。

渡哲也さんとの相席

 いまから何十年前だっただろう、日活の食堂でのこと。

 1人でご飯を食べていると、向こうからザッザッと草履の音が聞こえてきた。突然、その音が私の前で止まり、「ここに座ってもよろしいでしょうか」と声をかけられた。食堂はすでに満席。どうやら2人席にいる私の前の席しか空きがないらしい。申し訳なさそうな声が印象的だった。

 声の主の足元からゆっくりとパンナップすると、草履なのにジーパン。そして、凛とした顔つきの男性が目に飛び込んできた。雑誌『少年倶楽部』の表紙みたいなお顔。まだ新人だったころの渡哲也さんだった。可愛らしさと精悍さがないまぜになったような。たとえるなら、私が大好きな大谷翔平選手のような印象。当然返事は「もちろんです」。

 といっても、実は渡さんに会ったことがあるのはその一度。昭和を代表する俳優のおひとりだから、お芝居の世界で顔を合わせていそうなものだけれど、不思議と日活の食堂で会ったきりお会いすることはなかった。

 一方、渡さんの実弟である渡瀬恒彦さんとは、山城新伍さんが監督を務めた『せんせい』という作品で共演したことがある。その撮影の合間、渡瀬さんが月島でもんじゃ焼きをごちそうしてくださった。上手に焼いて、同席している人全員にサーブする姿に感動してしまった。

 渡瀬さんは、ケンカが強いことから“芸能界最強”なんて噂もあるらしいけど、女性の前では紳士そのもの。どうしてそんな噂があったのか不思議でならないけれど、それも魅力かな。

 気持ちのよい人という意味では、中村勘三郎さんもその筆頭格だったなぁ。

 吉行淳之介さんが亡くなったとき、和子っぺ(吉行和子)を慰めようと勘三郎さんがお声をかけてくださり、私と、歌舞伎にまつわるエッセイを数多く執筆されている関容子さんと、朝方まで飲んだことがあった。

 またあるときは、私と和子っぺ、岸田今日子ちゃんの3人組に勘三郎さんご夫妻が参加する形で、オペラを見に行ったことも。勘三郎さんはとても人付き合いがスマートな人。記憶に残る気持ちのよい人だった。

 今日子ちゃんの名前が出てきたから、彼女にまつわるエピソードも披露しようかしら。

 彼女はとってももの静かな顔をしているけど、実はすごい大食漢。端から見ていると、あっという間に消え去るように、静かに品よく食べてしまう。

 私の記憶の中では、親しかった戦中生まれの友人は、食に関して敏感なところがあった。ある人は、食べることそのものに過度に意識を払い、ある人は貪欲に食を探求した。今日子ちゃんは、自分が気に入ったものに関しては、食べることに夢中になる人だった。

 彼女とは、和子っぺと私、3人でオーストラリアやハワイなど、いろいろなところを旅した。今でいう、女子旅のさきがけかもしれない。

 旅先で今日子ちゃんが、あの独特な口調で「あらぁ~おいしい」と言ったら、それでおしまい。そのお言葉は「これはみんな私のものよ」といった勅令のようなもので、誰もその料理に箸をつけられなくなる。

 
でも、和子っぺは、本当におっとりしていて気にしない。「あらぁ~おいしい」と、飴を一袋取り上げられたこともあった。私は、その様子を面白がってしまったから、いつも楽しい3人組だった。

 台湾に行ったときは、とってもおいしい小籠包があって、今日子ちゃんがひと口ほおばるや、「あらぁ~おいしい」が発令してしまった。お肉と、細かく刻んだほうれん草がぎっしりと詰まった、熱々の汁がしたたる小籠包。ゆったりと微笑んで、それを次々に口に入れていく今日子ちゃん。あの小籠包は、私も思いっきり食べてみたかったな。

〈構成/我妻弘崇〉

冨士眞奈美 ●ふじ・まなみ 静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。