息子が語る、母への想い
「どうして、こんなつらいことばかり起きるのか……」
竹田さんは自分の人生を呪った。
唯一の心残りは、ひとり息子の旭彦さんのことだった。
出所後、息子に会いに行き、「お母さん、もう長くないかもしれない。ごめんね」と詫びた。
中学生になっていた息子は、ただひと言つぶやいた。
「長生きしてな」
竹田さんはわが耳を疑った。
「“えっ、私長生きしていいの?”と……。自分の存在を肯定された気がして、じゃあ、しっかり生き直そう。覚悟を持って生き直そうといった思いが湧き上がってきました」
この息子のひと言が、本気で生き直すきっかけを与え、竹田さんは、少女たちの相談事業や自立準備ホームの寮母など「支援活動」に精を出していく。
息子の旭彦さんは母親をどう思っているのだろうか。
「僕にとって母は、たまに帰ってくる人で、世間でいう“単身赴任中のお父さん”みたいな感じでした。実の父親と暮らしていましたが、まわりの友達もひとり親が多く、みんな家族のように育ちましたから、寂しさはありませんでしたね。
小3のときに一緒に暮らした時期があり、楽しかったことを覚えています。僕は朝が苦手で、毎朝母にフライパンを叩いて起こされたのが思い出かな(笑)」
現在、29歳の若さでリフォーム会社の社長を務める旭彦さん。「グレずにまっすぐ育ったことが不思議……」と母親である竹田さんが漏らしていたことを告げると、こう笑い飛ばした。
「中学生のとき、付き合った彼女のお父さんが配管工で、住み込みで働き始めたんです。その職場が昔気質の超スパルタ教育!仕事が厳しすぎて、グレる暇もありませんでした。この師匠のおかげで誰よりも早く一本立ちすることができました」
中学2年生のとき、長く会えずにいた母親から一通の手紙が届き、刑務所に入ったことを知ったという。
《会えなくなってごめんなさい》
そう手紙に綴った竹田さんは、「私を捨てた母親と、自分も同じことをしている」と猛省していた。
「私は母が借金取りに追われ失踪したときに“捨てられた” “母に愛されていなかった”と思い、母のことを恨みました。ところが息子は私が刑務所にいたときも“なぜ?”と責めず、恨み言ひとつ言わない。そんな息子を見て、私も母を恨んではいけないと思うようになりました」
2019年11月、数えで50歳を迎えた竹田さんは、生前葬を行った。生きているうちに、出所後に出会った人々へ感謝の気持ちを伝えたい。そんな思いから、誕生パーティーも兼ねて開いたという。
会場にはおよそ80人の友人が集まった。喪主を務めた息子の旭彦さんが挨拶に立ち、
「母の子どもに生まれてよかったと思います」
と話すと、竹田さんは大粒の涙をこぼした。
旭彦さんはその日のことをこう振り返る。
「出所後にたくさんの人と出会って、母のために集まってくれるって……それだけ今の母は愛されてるってことじゃないですか。それが、すごいことだなと思って。薬物で捕まっていたような人がちゃんと立ち直れた。そこを尊敬していますね」
旭彦さんの誕生日には、毎年「生まれてきてくれてありがとう」のメッセージが母親から必ず届くという。