坂本一生に直撃!
坂本がプロデュースしていたラーメン店は、どのような理由で閉業を迎えることとなったのか。詳しい事情を尋ねるべく、2月下旬、自宅前で本人に話を聞いた。
――坂本さんが関わっていたラーメン店がすべて閉店した件について、お聞きしたいのですが。
記者の直撃に驚きつつも、名刺を受け取った坂本。
「えっ? 閉店? 知らなかった……」
――坂本さんがプロデュースした船橋店を含めて、4店舗すべてが'21年末までに閉店しています。
「それは、知らなかった……。本当に?」
取締役として携わっていた坂本が初耳というのは、どういうことか。
「実は'18年にオープンしたんだけど、3、4か月でお店は閉店しちゃって……。それ以来、自分はラーメン店から手を引いたんですよ」
――船橋店の閉店以来、お店には関わっていないのですか?
「そうです。それに私がプロデュースしたお店みたいになっていますけど、名前貸しみたいなもので、広告塔という感じだったんです。関わっていたのも、船橋店のみです」
――ラーメン店に携わったきっかけは?
「僕のジムにお客さんとして来ていた方に、“稲毛でジムをオープンしないか?”と持ちかけられたんです。ただ、銀行から融資を受けられなくて、ジムは断念。それならラーメン店を手伝ってくれと言われ、関わることになったんですよ」
――お店を運営する『一’sエンタープライズ株式会社』の取締役にもなっていたかと思います。
「取締役といっても運営には関与していませんし、集客のために船橋店でのイベントに呼ばれたり、あとはほかの店舗でも3回くらいお店を手伝ったくらいですよ。それに役員報酬の支払いも滞っていて不信感もあったし、船橋店が閉店したのを機に辞めました。
正直、自分は名前を貸してお店の宣伝もしたのに、すぐに店は潰れて顔に泥を塗られたようなもんだし、被害者なんですよ」
歯医者に行く予定だった坂本は、30分ほど丁寧に取材に応じたあと、その場を去った。