頭を下げて謝り倒す屈辱
24歳のとき、暴走族の後輩7人に声をかけ、新明建設を立ち上げた。土木業を選んだのは、スコップ1本で始められて、体力が活かせるからだった。
「建設現場に人を供給する仕事から始めました。最初は派遣した後輩たちの仕事ぶりが評価されなくて、“お前らカカシか?” “使えない”とクレーム処理に追われました。それまで人に謝ったことがなかったので、頭の下げ方から学びました。
辞書を買ってビジネス用語を覚えたりもしましたね。くそみそに文句を言われるもんだから、“この野郎、ふざけんな!”って言いたくなるんですけど、それをやっちゃったら、その子たちの仕事がなくなって、またヤクザに戻っちゃうんで。堪えましたね」
「お願いします」「ぜひ使っていただけませんか」と交渉する営業のやり方も身に付けていった。非行少年たちが働ける受け皿をつくりたいという一心でやっていくうちに、大手会社との取引も舞い込むようになる。
「お客から、お前んとこ使いたいんだけど、有限会社じゃあ使えないよって言われて。資金も貯めて、2年後に株式会社にしたんです」
仕事が順調にいく一方で、加藤さん自身は相変わらず裏社会とつながっていた。昼間は土木会社の営業をし、夜は裏社会の関係者と飲み歩く。
「会社の売り上げから自分の取り分を減らしても、親分に上納金を届けました。どちらの世界にも義理を尽くし、表と裏の顔を使い分ける自分の在りように酔っていたんですね」
そんなある日、部下が飲酒運転で民家に突っ込み、即死する事故が起きた。自分と似た境遇で育ち、「社長のようになりたい」と信頼を寄せてくれていた仲間だった。加藤さんは指導する立場の自分の甘さを痛感し、自責の念に駆られる。時を同じくして、暴力団の組織が抗争事件を起こし、業界にいられなくなる事態も起きていた。
「それを機に親分がヤクザをやめたので、僕もやめました。親分に惚れてヤクザになったので、もう裏社会にいる理由がなくなったんですね。その方も身の安全は確保されているはずですよ。出家されてるんじゃないですか。
親分は、裏社会の人でしたけど、人間味のある人でした。口癖のように言っていたのは、極道とは、“道を極める”ということだったんです」
どんな世界でも、堅気の世界であっても、道を極める人間はプロで、尊敬に値するのだと。
「それから自分は表の世界で道を極めようと思いました。社員全員にどんな仕事でもこなせるような技術を身に付けさせて、人から求められるような人材に育てよう、そのために自分も社長として、人としてもっと成長しなければならないと決意したんですね」
26歳で裏社会との付き合いを断ち切ると決めてから、完全に絶縁するまで、3年の年月がかかった。右翼から嫌がらせを受けたり、地域のチンピラにからまれたり、トラブルが絶えなかったのだ。そのたびにやり直したい、表社会で上を目指したいと自分を奮い立たせたと話す。同時に常習していた覚醒剤も断った。
「26歳のときに強いのを打ち込んじゃって、死ぬような思いをして、このままでは自分がダメになると、本気で思ってやめたんです」
覚醒剤依存をやめるには、「生きたい」と思える動機を見いだすことが重要だとい
う。
「集団生活をしたりして環境や習慣を変えても、そこを出てしまえばまたやってしまう可能性があります。だから、薬物依存も更生も立ち直る中で、大事にしたい人や愛する人など、動機となる人間を見つけることが大事だと思っているんです。その信頼関係があれば、基本的に立ち直れます。
でも人間関係が壊れると、どうでもいいってなっちゃうんですよ。孤独になると、ほとんどまた戻っちゃいますね。だから人間関係の力がとても大きいんです」