目次
Page 1
ー いつも食卓には母の料理、今では食事担当 ー 気づけば朝食担当になっていた少年時代
Page 2
ー 下田で過ごした夏の思い出 ー 祖母が作る魚料理ですっかり魚好きに ー 祖母の味を再現するのに難航
Page 3
ー 母に料理を細かく教わったことはない ー 母の作った料理を批判したことも ー 毎日食べている味が「家の味」になる
Page 4
ー 母、栗原はるみのこと。 ー 料理をつくるときに大切にしていること。

 

「母は仕事で留守にするときも多かったけれど、僕らの好きなおかずを必ず用意してくれていたので、寂しい思いをした記憶はないんです」

いつも食卓には母の料理、今では食事担当

 ベストセラー『ごちそうさまが、ききたくて。』を出版して以降、多方面で活躍するようになった栗原はるみさん。多忙な生活だったが、家族の食事は作ってから出かけたそう。心平さん自身も現在、会社の経営者、そして料理家として忙しい日々を過ごしているが、食事の支度は欠かさないという。家族構成は奥さま、息子さん、猫2匹。

「家事の中で僕は食事を担当しているので、一緒に食べられないときでも支度をしてから出かけます」

 コロナ禍で仕事がらみの会食が減り、家族で食卓を囲む機会も増えた。

「これまでは子どもと妻が当日食べ切る分量で用意していましたが、最近は僕も一緒に食べられるので、残り物も活用しつつ、献立を考えるようになりました。翌日のためにあえておかずをちょっと残しておいたりと工夫してます」

 母の背中を見て育ち、今は自身の家族の食事を作る心平さん。いつから料理を始めたのか聞いてみると、そのきっかけになったのは意外にもアニメ番組だとか。

気づけば朝食担当になっていた少年時代

「日曜の朝、子ども向けのアニメ番組がありますよね。あれを楽しみに1人で早起きをしていたんです」

 ユーチューブはおろか、録画機器さえ珍しかった時代、好きな番組はリアルタイムで視聴しなければならなかった。

「僕だけ早起きしているので、朝ご飯までにめちゃくちゃお腹がすくんですよ。休みの日だから親もなかなか起きてきてくれなくて。もう自分で作ろうって思って(笑)」

 朝の空腹に耐えかねた心平少年は、当時、朝食の定番だったキャベツのコンビーフ炒めの作り方を父・玲児さんから教わった。そこから少しずつレパートリーを増やし、気づけば栗原家の朝ご飯担当になっていたという。