“禊ヌード”は「ジェンダー不均衡」か
『たわわ』広告が炎上したのは、『性的に強調した未成年女性キャラクターによって、男性が励まされる』といった構図が物議を醸したのであって、ベッキーの広告にはそういった問題点はまったくないといえる。SNS上では、
≪デザインやメッセージ性を読み取らず(読み取れず)肌の露出だけで『何でこれは良くてあれは駄目なの』と≫
≪本当に写真や広告ごとの意図やら読み取れないの?≫
≪問題提起していることをもう一度見直してください≫
など、知念氏の見識を疑う声が噴出。一方でベッキーの広告に対しては、かつて“禊ヌード”といわれたことを踏まえ、また別の角度から問題点を指摘する声も出ているという。
「女性タレントが何か問題を起こした際、脱ぐ仕事で再出発を図るのは、業界内では、過去の遺物としてとらえられています。しかしベッキーをはじめ、“タピオカ騒動”で世間を騒がせた木下優樹菜が、写真集『CORRECT』(双葉社)で手ブラヌードを披露するなど、今でも“あるにはある”ことですし、世間的には、ヌードになるのは“スキャンダルを起こした罰”と見る向きも強いのではないでしょうか。つまり、現在もジェンダー不均衡の流れはあるのではないかということです」(芸能ジャーナリスト)
SNSではベッキーの広告に関して、その点への批判が散見され、例えば、
≪不倫した女は罰として脱がされるのか、痛々しい、禊とは?と批判は上がっていたと思う≫
≪これ自体にも当時ヌードの必要性について議論されてたけどな≫
といった声が上がっている。
「ベッキーは、川谷とは比較にならないほどの制裁を受けたうえでヌードになったということも、ジェンダー不均衡と指摘されていました。『たわわ』広告論争を発端に、過去の広告の問題点が、あらためて議論される流れができつつあるのかもしれません」(同・前)
昨今、実にさまざまな広告が女性の描き方をめぐって物議を醸しているが、「一過性の炎上にしてはいけないという風潮がある」(同・前)という。『たわわ』広告論争も、継続した議論になっていけばいいのだが……。