加害者との面会

 裁判が続く中、原田さんのもとに加害者から手紙が送られてくるようになった。最初はとても読む気になどなれず、開封せずに捨てていた。ところがある日、好奇心から開封してみたことをきっかけに、加害者との交流が始まる。加害者は、弁護士の影響で洗礼を受け、罪と向き合うことを始めていた。

 そして事件から10年後、原田さんは、周囲の反対を押し切って、拘置所にいる加害者との面会を決意する。憎しみや怒りが薄れたわけではなく、なぜ弟が殺されなければならなかったのかを問い、遺族がこれまでどんな思いで生きてきたのか、思いをぶつけたかったからだ。

 原田さんが「長谷川君」と呼ぶ加害者は、原田さんの訪問を喜んだ様子で迎え、「申し訳ございません」と謝罪をした。原田さんは、長谷川君と対面した瞬間、肩の力が抜けたという。アクリル板を挟んでいても、対面が叶ったことで、被害者加害者という枠を超え、人間同士のコミュニケーションが可能となったのだ。

 これまで何百通という手紙を受け取ってきたが、20分の面会にはかなわなかった。彼の謝罪の意志は本心だと感じ、直接、謝罪の言葉を聞いたことによって、どんな慰めの言葉より、心が癒されていくのを感じたという。
 
「長い間、孤独の中で苦しんできた僕の気持ちを真正面から受け止められる存在は長谷川君だけだと感じた」と話す。しかし、面会をしたからといって、彼を許したわけではない。
 
「事件によって僕や家族は崖の下に突き落とされました。世間の人々は、崖の上から高みの見物です。誰も崖の上に引き上げようとはしてくれず、長谷川君やその家族をバッシングして崖の下に突き落とすことで、僕たちに『これで気がすむだろう』と言っているかのようです」

 長谷川君こと長谷川敏彦氏の息子及び姉は自殺をしている。事件後、被害者だけでなく、加害者家族もまた、生き地獄を強いられたであろうことは想像に難くない。

「僕は彼と面会したことが、自分自身の快復への道につながると感じました。僕が求めているのは、彼や家族をさらに奈落の底に突き落とすのではなく、僕が崖の上に這い上がることです。死刑が執行されてもされなくても、僕の苦しんできたことは消えませんし、弟が生き返るわけでもありません」

 原田さんは、納得できるまで長谷川君と面会したいと死刑執行停止を求める嘆願書を法務省に提出し、法務大臣に直接会い上申書を提出したが、その後まもなく、長谷川俊彦氏の死刑は執行された。

 原田さんは、自らの体験をもとに、2006年に「Ocean被害者と加害者の出会いを考える会」を立ち上げ、2021年12月に結成した被害者加害者が共に支援を行う団体「Inter7」の共同代表を務めている。