「何とか立ち直らせたい」

 支援スタッフはほかにもさまざまな人がいる。最近加わった42歳の男性はかつて車中生活者だった。大塩さんと泉さんがホームレス支援をしていたときに助けられ、今は泉さんの会社で働いている。

「支援された当事者やから、わかることもあるやろ」

「私一人では何もできないし、仲間がおるからできてるの。どの人が欠けてもいかんなと掛け値なしに思う」と大塩さん 撮影/伊藤和幸
「私一人では何もできないし、仲間がおるからできてるの。どの人が欠けてもいかんなと掛け値なしに思う」と大塩さん 撮影/伊藤和幸
【写真】村松さんが、日々の反省や心情の変化を綴っているノート

 泉さんにそう言われて「止まり木」の手伝いを始めた。男性は生活保護を受給していた時期もあるので、手続きにも精通している。介護にも興味を持ち、仕事をしながらホームヘルパーの資格も取得したと話す。

「ホント、1回諦めていた人生なので、できることがあればと。介護の支援だけでは手の届かない部分まで、ここの活動ではできよるんで、それが楽しいですね」

 バラエティー豊かなスタッフたちが、各自で最善の方法を考えて動き、意見が分かれれば、ざっくばらんに話し合う。そんなふうに活動がうまく回っているのは、やっぱり大塩さんの存在が大きい。“3婆”の大久保さんは「大塩さんの人徳やね」という。

「この子たちを何とかして立ち直らせたい。もういっぺん社会に出したい。大塩さんはそういう思いだけで動いていることをみんな知ってるから、協力したいという気持ちになるんです」

 2011年の設立以来、ずっと先頭で「止まり木」を引っ張ってきた大塩さん。もともとあまり体力がなかったのだが、75歳を過ぎて身体がきつくなってきたこともあり、今年5月で代表を若手の泉さんに譲ることにした。これからはスタッフの1人として、関わるつもりだという。

「ちょっとの支援があれば、何かのつっかえ棒があれば、罪を犯さずにすんだのにと思う人はなんぼでもいてはります。よく、お世話になった人を裏切れないとか、恩返しのために立ち直ったとか言うけど、私、その手の言葉が大っ嫌い(笑)。なんか嘘くさく感じて。私はただ、そういう人たちと“新たな人生を踏み出せてよかったねー”と、共に喜びたいだけなの」

 すぐには更生することができない人でも、応援するみんなの思いが届く日が来る。一緒に喜び合える。そう信じて、寄り添い続けていく─。

〈取材・文/萩原絹代〉

 はぎわら・きぬよ 大学卒業後、週刊誌の記者を経て、フリーのライターになる。'90年に渡米してニューヨークのビジュアルアート大学を卒業。'90年に帰国後は社会問題、教育、育児などをテーマに、週刊誌や月刊誌に寄稿。著書に『死ぬまで一人』がある。