女性皇族は制度上、結婚に伴って皇籍を離脱するが、

彬子さまからは、“三笠宮家を継承する”という強い覚悟が感じられます」

 そう話すのは、象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院の河西秀哉准教授。根拠となるのが、6月1日に発売された『ひげの殿下日記』(小学館)。寛仁さまが生前に寄せたエッセイに、彬子さまが編集を加えた1冊だ。

「三笠宮家は本当に仲のよい家族だったのよ」

「寛仁さまが逝去されて10年の節目に、尊敬するお父さまの人生の軌跡を形にし、複数のメディアのインタビューに応じておられます。“父の遺志を継ぐ”と、広く示されたかったのではないでしょうか」(河西准教授、以下同)

 宮家を背負うべく、地道に公務をこなされる彬子さまに対する期待は膨らむが……。

「順当にいけば、信子さまが当主になられると思います。宮内庁は慣例を重んじるため、よほどの理由がない限り、彬子さまの当主就任を容認しないのではないでしょうか」

 信子さまの療養生活やご一家との距離感は、“よほどの理由”にあたらないのか。

「近年の信子さまは、精力的に公務に取り組み、皇族としての役割を果たされている以上、問題にしにくいとは思います。三笠宮家に関する行事への不参加は懸念されるものの、形式的に信子さまが当主に就き、実務は彬子さまが担当されることも推測されます」

'14年に療養から復帰された信子さま。公務への姿勢は積極的('21年11月)
'14年に療養から復帰された信子さま。公務への姿勢は積極的('21年11月)
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 百合子さまと彬子さまのご意向だけでは解決できないほど“継承問題”は根深いということ。

「母娘の仲は、修復不可能だともいわれていますが、時間が解決してくれると信じています。現に、徐々に距離が縮まっている気もするのです」

 そう語る三笠宮家関係者は、『ひげの殿下日記』を読んで感激したという。

「家族4人のエピソードが、たくさん盛り込まれていました。メディアに露出する際、これまでの彬子さまはいっさい信子さまについて触れられなかった。寛仁さまの日記がベースとはいえ、幸せな思い出を掲載されたのは、一家にとって“大きな一歩”です」

 彬子さまは、在りし日のご一家を回顧される百合子さまの思いをくまれたのだろう。

「“三笠宮家は本当に仲のよい家族だったのよ”─。よく、百合子さまが彬子さまに語りかけられる言葉です。次期当主の議論は遅々として進まないものの、彬子さまにご一家の命運を託されていることに変わりはありません」(同・三笠宮家関係者)

 百合子さまのお力によって、愛憎劇は幕引きとなるか。


河西秀哉 名古屋大学大学院人文学研究科准教授。象徴天皇制を専門とし、著書多数