女性の肌感覚で社会活動

 もともと意見ははっきり言うタイプだったが、50代ぐらいから、社会的な問題により積極的に関わり、発言するようになった。

「父親の体質を受け継いでしまった息子の喘息が心配で、なんとかしたいと環境問題について興味を持ったのがきっかけでした。1980年代当時、東京の水道水はひどい状態だったので、浄水運動を始めて。そのころからいろんな審議会に参加要請もあって、自分の勉強にもなるからと、いろいろ首をつっ込むようになったんです」

 ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコさんとの交流や影響も大きかった。

「銃で撃たれて亡くなったときにジョンがかけていた眼鏡を、ヨーコは血もぬぐわずそのままの状態で撮影し、アルバムジャケットにしたんです。そんな見るのもつらい写真を出さなくても……と、私は最初反発を覚えたんですけど。

 ヨーコはそれから、血のついた眼鏡の写真とともに、その日アメリカで銃で撃たれて死んだ人の数を発表し続けているんです。銃による犠牲がこれ以上出ないよう、訴え続けている。なんて強い女性なんだろうと思います」

 東京タワーやレインボーブリッジのライトアップを手がけるなど世界的な照明デザイナーの石井幹子さんは、「お互いに年を重ねても刺激し合える得難い友人」であり、いくつかの活動に協力している仲間でもあるという。

「湯川さんは筋を通すべきことは通しながら、困ってる人に手をさしのべる優しい人なんです。『語りつぐ青函連絡船』から協力を頼まれたときも、すぐ行動されてました。しかも、そのスタッフを“一生懸命やってくれている、娘同様の人”と紹介するんです。彼女の優しさと包容力に救われた人はたくさんいるんじゃないかしら」

 納得いかないことには、厳しい態度を貫く。推進派が多数を占める原発の審議会にも湯川さんは参加し、反対意見を述べてきた。たとえ少数派としての意見でも、議事録に残るなら、意味はあると考えたからだ。

「なんか危険とか、自分がイヤだなと思う女性の肌感覚って、大事だと思うし、声をあげたほうがいい。炭鉱では、空気が汚染されると、すぐに感知するカナリアが飼われているんですが、私は感性をとぎすまして危険を感知し、発言し続ける“時代のカナリア”でいようと決めました。世の女性たちも、諦めずに選挙に行ってほしいし、声をあげてほしいと思います」