目次
Page 1
ー ボブディランとザ・バンドの公演をみてショック
Page 2
ー 「アレンジが気に入らない」提供楽曲がヒット
Page 3
ー 若きカリスマ時代から抱えていた意外な一面
Page 4
ー 同世代の歌手仲間に嫉妬して、嫉妬されて…
Page 5
ー 泉谷しげるとは馬乗りになっての殴り合い
Page 6
ー CMソングが巷で話題も発売しなかったワケ
Page 7
ー 吉田拓郎が駆け抜けた半生 〜現在までの年表〜

 

 吉田拓郎が年内で歌手活動を終了する。

「単独全国ツアー、大規模屋外コンサート、アーティストによる会社設立など、今ではごく当たり前のことを、日本国内で初めて行ってきたのが拓郎さん。また、中島みゆきさんや桑田佳祐さんをはじめ、米津玄師さんやあいみょんさんなど、さまざまなアーティストに影響を与えた日本音楽界のまさに“レジェンド”です。引退は残念という言葉しかありません」(音楽誌編集者)

 今年で76歳となった拓郎だが、突然の引退宣言はなぜなのか─。

ボブディランとザ・バンドの公演をみてショック

 拓郎は'70年に『イメージの詩』でデビュー。'72年には『結婚しようよ』がヒットして人気を博す。

当時のフォークは、反戦などイデオロギー的な要素を含んだ曲が多かった。拓郎は“それがフォークだと言うなら、そのレッテルを外したい。俺は個人的な感情を、誰もが普通に思うことを歌いたいんだ”とよく言っていました

 そう話すのは、拓郎のバックバンドを務めたフォークグループ『猫』の常富喜雄氏。

 個人的な思いを歌った拓郎はマイナーだったフォークという音楽ジャンルにスポットを当てて一変させた。

 時代の寵児となった拓郎だったが、大学時代の後輩である蔭山敬吾氏は、当時の意外なエピソードを明かす。

'74年にアメリカで開催されたボブ・ディランとザ・バンドの公演を拓郎さんと見に行きました。どんなライブをするのか純粋に興味があったんでしょうが、拓郎さんはその演奏力やパフォーマンスを目の当たりにして“俺には同じことをするのは無理かもしれない……”とそうとうショックを受けていました

’74年にロスのファーマーズマーケット時計塔での記念写真(蔭山さん提供)
’74年にロスのファーマーズマーケット時計塔での記念写真(蔭山さん提供)

 圧倒的な存在に打ちのめされたが、立ち上がる。