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耳なじみのいいメロディーと、躍動感のあるダンス――。'76年にデビューしたピンク・レディーは1枚目のシングル『ペッパー警部』がいきなり大ヒット。大人から子どもまで、女性はみんなマネをして踊っていた。メンバーの増田惠子(当時はケイ)は、懐かしそうに当時を振り返る。
「デビューしたときにスタッフがファンのターゲットとして考えていたのは、中学生以上だったんですよ。最初は深夜番組に出たりしていましたから。雑誌の撮影で、都内のキャバレーでホステスさんが着るような衣装に着替えて、お酌をするなんてこともありましたね」
ピンク・レディーデビューのきっかけ
デビューのきっかけとなったのは、オーディション番組の『スター誕生!』(日本テレビ系)だった。
「決戦大会で優勝したのは清水由貴子ちゃん。指名に手を挙げた事務所は、実に14社でした。私たちにも9社くらいの指名はありましたが、そこまで期待されているという感じは受けなかったですね」
『スタ誕』に出る前、増田は未唯mie(当時はミー)と一緒に浜松市内のボーカルスクールに通っていた。
「もともとは中学・高校の同級生でしたが、それぞれソロでヤマハのオーディションに合格。スクールの先生に2人で組むことを勧められて、キャッチ―で耳に残る、“ピンク・レディーサウンド”を作ったんです。新商品と一緒にトラックに揺られて、“このステレオはカラオケもついています。私たちが歌います”って3000円のギャラを頂いていました」
ミニスカとブーツで歌って踊るスタイルは、すでにそのころから。しかし、あまり評判はよくなかったらしい。