難病であることを隠しながら

 出身は宮崎県西都市。山々に囲まれたのどかな土地に、およそ2万人にひとりといわれる先天性骨形成不全症を持って生まれた。骨が折れやすく、成長しにくい原因不明の難病で、15歳までに30回近く骨折を繰り返している。

 地元の小学校に入学を拒まれ、6歳から親元を離れ、高校卒業まで養護学校で寄宿生活を送る。経済的な余裕はなく、治療費を稼ぐために、父、母ともに肉体労働に従事し、身を粉にして米良さんを支えた。

 歌は子どもの頃から得意で、歌が常に支えになった。しかし特別な教育を受けたことはない。声楽家を志したのは養護学校在学中で、音楽の担当教師に教えを請い、音楽大学に見事トップ入学をする。

 これら宮崎時代の想い出は米良さんにとって決して楽しい出来事ではなく、封印しておきたい昔の記憶。芸能人にとって暗い過去は必要ないと、取材で聞かれてもひた隠しにしていた。

「人間って時には触れられたくないことに蓋をしたり、なかったことにして生きていくじゃないですか。生い立ちを聞かれるたび何とかはぐらかしてきたけれど、ある雑誌に“身長150センチ足らず、この男性か女性かわからない歌手はいったい何者?”という書かれ方をして、世間はそういう注目の仕方をするものなんだと知りました。

『もののけ姫』に対しても、“このオカマみたいな声は合わない”と書かれたことがあって傷ついたり。今思えばすごく悲観的に捉えていたし、悲しみと怒りがあの頃の僕自身に最も近い感情でした」

 キャリアは順調で、日本ゴールドディスク大賞のベスト・クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。世界最高峰のオペラ歌手との共演も叶え、ヨーロッパでも高い評価を得た。だが世間の関心が高まるにつれ、息苦しさは増していく。やがて“天使の歌声”にも陰りが訪れる。長いスランプの始まりだった。

「声が出なくなって、歌のお仕事に限らず、バラエティにも活動の幅を広げていきました。キレイごとで言うと、いろいろなことにチャレンジしたいから。

 でも本当はそんなことじゃないですよ。芸能人にとっては、忘れられないということが大事。生きていくために仕事を選んでいる場合ではない。どんなことでもして食いつないでいきました」