関西時代は「結構モテました」
澤井「あの背景にそんなことがあったんですか!」
JP「“このネタだったらOK!”ということで川島さんのネタでも出演できたんです。しかも、そのモノマネをたまたま『ラヴィット!』のプロデューサーが見てくださっていたそうで、今年1月に番組に呼んで頂くことになったんです。 グルメロケだったんですけど、その時の出演がきっかけで今度は2月頭に川島さんが新型コロナに感染された時に、隠しゲストとして川島さんの代役で出演させて頂きました。松本さんの代役でワイドナショーに出演した4日後のことです。びっくりですよね。そこから一気に知名度が上がったんです」
澤井「なるほど〜! すごいタイミングですね!」
JP「世間的には“JPは松っちゃんしかできない”っていう認識だったのが“え、川島さんもできるの!?”っていう。右ストレートからのフックみたいな感じで、わずか1週間でイメージが変わったというか。“どんだけマジカルショット打つねん!”って」
澤井「世間がJPさんに対する注目が集まっている中で、経歴を調べさせて頂いたら、大阪のNSC(吉本総合芸能学院)や声優の養成所にも入所されていたんですね」
JP「当時はモノマネ=声優かなって思っていたんです。でも声優は当然、声のお芝居なのでなんか違うかなと。その後にNSCの27期生として入所したのですが、師匠のモノマネが中心でしたね。笑福亭鶴瓶師匠とか桂南光師匠、フランキー堺さん、藤田まことさん、所ジョージさんとか」
澤井「当時からモノマネをやられていたんですね。漫才やコントをやろうと思ったことはないんですか?」
JP「ありましたよ。関西でモノマネをやるのは物珍しいらしくて、色々な人が“相方になりたい”って結構モテました。その中の1人とコンビを組んだんですけど、相方はただ横で僕にモノマネを振るだけ。“◯◯する中田カウス師匠”とか言うだけで、漫才でもなんでもなくて(笑)。
だから結局うまくいかなくて解散しちゃいました。楽屋にいる師匠とか関西ローカルで見る芸人さんとかじゃなくて、例えば松田聖子さんとか木村拓哉さんとか美空ひばりさん、矢沢永吉さんみたいな、日本中の誰もがスーパースターだと思っている方をモノマネすることが大事なんだなって。そういう文化はやっぱり東京だったので上京したんです」
澤井「上京された後は『ワタナベエンターテインメント』の養成所に入られたんですよね」