最愛の母、そして初音さんの死──
一方そのころ、プライベートでは悲しい出来事も。ブラジルに住む最愛の母が亡くなったのだ。
「お医者さんに“必ずヴェルディを昇格させるから、昇格パーティーに母を呼びたい”と相談していて、ドクターは“全然、可能ですよ”と言ってくれていました。でも、急にブラジルにいる姉から電話がかかってきて、“ママが亡くなったよ”って……。すぐに立って神様にお祈りして……でも、練習に行くしかない。チームには関係ないんだもん。“お母さんはいいところに行ってる”ってわかってるから」
迷惑をかけまいと気丈に振る舞ったラモスだったが、その5年後、またも不幸に苛まれる。初音さんが、52歳の若さでこの世を去った。
「母には申し訳ないけど、いちばん辛かったですね。自分もあの世に行くんじゃないかと思ったくらい。母も大好きだったし、愛していたから辛かった。ただ、自分の中では初音ちゃんがまた別格だった。母は、多分それをわかってる。“お前らしいな”って、今天国で笑ってくれてると思う」
初音さんの死後、悲しみから自暴自棄になり、ラモスの生活は荒れた。彼を立ち直らせたのは、当時大阪に住む友人の1人で後に再婚する現在の妻、俊子さんだった。
「初音ちゃんが亡くなってから1、2年くらいかな。大阪に行ったときに“あなた、ばかなことやってるの聞いてるよ。それ、初音さん喜んでないよ”って言われて、ドキッとした。それから食事に行くようになって“あなたの面倒見るの、私しかいないよ”って言われて、この人しかいないなと思いました」
'15年に、俊子さんと再婚。ふたたび前を向き始めようという矢先で、またも試練が待ち受けていた。脳梗塞で、命の危機に陥ったのだ。
「妻がすぐに気づいて、救急車を呼んでくれて。病院で、自分が寝るベッドもないのに付きっきりで看てくれた。彼女がいなかったら、私はここにいないね。死んでたか、車イス生活で話もできず、一人ぼっちだったと思う。リハビリは、お医者さんが止めるくらいやりましたよ(笑)。世界から“ラモス、頑張れ”ってたくさんメッセージをもらって、すごい愛されてるなと思ったし、この人たちに早く元気な姿を見せなきゃいけないな、泣いてる場合じゃないなって思って頑張りました」
特にラモスを救ったのが、元日本代表監督で当時FC今治(いまばり)を経営していた岡田武史氏と、旧友のEXILE HIROだった。
「岡田さんは倒れてすぐ次の日に連絡をくれて、“FC今治のアドバイザーになってくれ”って。まともに話せない状態で役に立ちませんよと思いましたが、“おまえのことはよくわかってるから、とにかく頑張れ。安心しろ、居場所はあるから”って言ってくれて、めっちゃうれしかった。その30分後にHIROから“ラモスさん、LDHに入ってください”と連絡が。“仕事のことは気にせず、リハビリに専念して”というメッセージをくれた2人の言葉は、どんな点滴より効いたね」