「リンクの氷は数年に1度、全部を溶かしてメンテナンスし直す必要があります。その間は1、2か月ほどリンクが使えないことも。羽生選手と同い年の村上佳菜子さんは、仙台より環境に恵まれている名古屋が拠点でしたが、氷のメンテナンス中は沖縄に自主合宿に行っていましたよ」

 つまり、練習のために学校にまともに通うことが難しくなるのだ。

宮城の環境を整える決意

「それは地域のリンク事情や選手の数でも変わってきますが……。羽生選手の場合は、学校の先生をしていたお父さんの教育方針で、学校を休んで練習をしたり合宿に行ったりするのは反対されていたそうです。リンクの事情や家庭の意向があり、羽生選手もご家族も悩んだ時期だったと思います」

 前出の都築コーチも、次のように指摘しながら、土下座の理由を推察する。

「リンクなどの環境の変化があり、精神的にいろんな影響があったでしょう。どの選手もこうした影響は受けますが、結弦は、特に感受性の強い子どもでしたから。そんなころに結弦が土下座をしたというのは、自分が一生懸命に練習をしていても、反省する部分があってのことだったのでしょう」

中学1年の羽生結弦('07年『全日本ノービス選手権』公式パンフレットより)
中学1年の羽生結弦('07年『全日本ノービス選手権』公式パンフレットより)
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 冒頭のテレビ番組への出演後、独占インタビューに応じた羽生は、宮城県のフィギュア競技育成環境について聞かれるとこう答えた。

「まだまだ環境的には恵まれたものではないと思います。そういう点に関しては、僕自身がお手伝いできることはお手伝いしたいなという気持ちはありますし、(自身が)ここからさらに練習していきたいなという気持ちが強くあります。うまくなるためには僕自身が動いて、僕自身のためにも環境を整えなくてはいけないという気持ちも正直あります」

 リンクがなくなる事態に直面した経験があるだけに、シビアに考えているのだろう。
環境づくりのためにどのような支援をしていくのか、未来のフィギュアスケーターのためにも頑張ってほしい!


梅田香子 '09年から在米。著作に今川知子との共著『フィギュアスケートの魔力』(文春新書)など多数。長女は米国認定フィギュアスケート・インストラクターとして活動中