病が教えてくれた新たな生き方
フリーアナウンサーとして再始動した笠井さん。コロナ禍でしばらくはリモート出演が続いていたが、8月には外出を伴う仕事にも本格復帰。
退院してから初のスタジオ収録は、20年以上続く映画情報番組『男おばさん!!』。司会でコンビを組むのは、フジテレビの軽部真一アナウンサー(60)。井戸端会議のおばさんのような2人の掛け合いで、いつものように絶妙なシネマトークが繰り広げられた。約8か月ぶりにスタジオに帰ってきた笠井さんの仕事ぶりを、軽部さんはこう述べる。
「ブランクを感じるかなと思っていたら何も感じなかった。映画を熱く語るところも、熱が入りすぎて空回りしそうになるところも、笠井らしさは何も変わっていませんでしたよ」
明るく、楽しく、時に前のめりになるキャラクターは健在。テレビの画面には、視聴者が見知っている以前と変わらぬ笠井アナの姿が映し出された。
けれども、笠井さん自身の生き方は変わった。いまの自分は、がんになる前の自分とは違う。変わることができたのは、家族のおかげ──。
ますみさんにがんを告白した数日後、笠井さんはひとり暮らしをしている長男に電話をかけた。なかなか病気のことを切り出せずにいると、長男のほうから言われた。
「がんにでもなったの?」
図星。言い当てられ、動揺しながら、息子たちの父親に対する思いに心をえぐられた。
「長男のひと言に込められていたのは、驚きや、悲しみの以前に、『だからあれほど言ったじゃないか!』という思いですよね。それまで僕は、家族のためにと思ってひたすら働いてきた。でも、結局は自己満足だった。
がんを告知される少し前に、次男に就職先の希望を尋ねたことがあったんですが、『休みをちゃんともらえるところ』と答えました。息子たちにとって、家族を顧みないで仕事に明け暮れる父親の姿は反面教師でしかなかった。『そんな生き方をしていたらダメだ』という家族の声に、僕は耳を傾けようともしていなかったんです」
家の外では人気アナウンサーでも、家の中ではダメな夫で、ダメな父親だった。が、がんになり、ダメな自分は家族の中でもっとも弱い存在となった。そして、弱い自分は温かい家族の思いに包まれた。
がんとの闘いの日々は、自分の人生を立ち止まって見つめ直す機会となった。
「がんになって失ったものもあったけれども、得たものもたくさんあるんです。僕の第二の人生は、まだ始まったばかり。新たに得たものを積み重ねて、“新しい笠井信輔”にならなければと思って、いま僕は生きているんです」