わずか14歳で家を飛び出した理由
「父にはよく殴られましたね。おかずに手を出しただけで殴られたりしましたが、“それ以上はやめて”と、母が間に入って助けてくれました。
ただ、弟は殴られなかった。弟自身、“自分は父から1度も殴られたことはない”と言っていましたね」
実は、父・董さんにはアルコール依存とギャンブル依存という問題があった。酒を飲まなければ、ひと言もしゃべらないほど静かでおだやかな父。それがひとたび酒を口にすると、家族に暴言を浴びせ、暴力を振るい始める。
「(弟と違って)僕はものをはっきり言うほうなんです。例えば“もう、それ以上飲むなよ!”とか。父にしてみれば、そんな僕がきっと鬱陶しかったんだと思います」
母が間に入り助けてくれるとはいえ、父との確執が解消されることはなかった。中学2年生だった14歳のとき、ついに江蔵さんは家を出る決心を固めた。
「市川(千葉県)にある知り合いの焼き肉屋さんで、住み込みで働き始めました。義務教育の最中でしたが、学校には行きませんでした」
ほどなく見つかって連れ戻されたものの、家を出たいという思いは変わらない。アルバイト先だったおしぼり店の店主が“中学には店から通わせるから”と両親を説得すると、江蔵さんは再び住み込みで働き始めた。
その後、江蔵さんは飲食店勤務など10種類以上の仕事を転々としたのち、1978年、東京・新大塚で喫茶店を開店。1996年、38歳のときには、福岡県で貴金属の取り扱いと中古車販売店を起業、一国一城の主となった。
事業を軌道に乗せてからは年に1~2度、福岡から東京へ帰省するとともに、台東区に住む両親にも仕送りを続けていた。父・董さんは競馬やパチンコでせっかくの仕送りを使い果たすなど、相変わらずではあったものの、江蔵さんの孝行息子ぶりに母・チヨ子さんはおおいに喜び、良好な親子関係が続いていたという。
ところが1997年、江蔵さんが39歳のとき、驚きの事実を知ることとなる。