罵りの電話と手紙 ストレスで顔面麻痺
「実家を出ても心が休まることがなかったんです。母親は私が帰宅したころを見計らって、わざわざ電話をかけてきては“おまえは地獄に行く”とか“よくも家を出て私とお父さんだけにしたわね。おまえは近いうちに死ぬ”など、罵詈雑言(ばりぞうごん)の数々をぶつけてくるんです。
“疲れているから電話を切るね”と断って切っても、無視してまたかけてきて。部屋に帰ると、母からの着信で携帯電話は鳴り続けていました」
そこで帰宅してから携帯電話の電源を切ることにしたが、ある夜、緊急の仕事連絡を受け損ねてしまったのだ。翌朝青ざめたが、会社に母との関係を知られたくない。余計な詮索をされないよう、携帯電話の故障と言い訳をしたが、これで美穂さんは携帯電話の電源を切ることができず、またもや毎晩、母親からの電話に苦しめられることに。
「当時、仕事で大きな案件を任された重圧感もあったからでしょう。ストレスで顔面麻痺(まひ)になり、半月ほど会社を休んでしまいました。復帰してから上司に事情を伝えざるをえなくなると、会社から専用の携帯電話を渡されて……。恥ずかしかったです」
美穂さんに携帯電話で連絡がとれないとわかった母は、今度は読むに堪えない言葉で埋め尽くした手紙を送りつけるようになった。母は病んでいるかもしれないと、ふと同情のような気持ちも芽生えたが、数々の罵(ののし)りの言葉に美穂さんの心はズタズタになっていった。
このままでは一生母親のネガティブな感情の受け皿になってしまうと、ひとりで苦しんでいた29歳のとき。突然一筋の光が差し込んだ。
「たまたま飲食店で知り合ったバツイチで年上の不動産経営者から、初対面でプロポーズされたんです。最初は友達と2人で飲んでいたのですが、彼のハンカチをトイレ近くで拾ったことがきっかけで、お礼に友人たちと一緒に飲みませんかと個室に招かれて。そこであれよあれよという流れで、7か月後に結婚しました」
電撃婚をした美穂さん。結婚を報告すると父は喜んだが、母は無言だった。娘の結婚を祝福できない母だろうと思ってはいたものの、いざ現実になるとがっくりと肩を落とした。しかし、これで母と自然に距離を置くことができるという喜びを感じていたことも事実だった。
「結婚しても母親から頻繁に電話がかかってきました。そのたびに、夫が家にいなくても“夫がいて忙しいから”という言い訳ですぐに電話を切りました。毒親から逃れられたと安堵(あんど)し、平穏な日々を過ごせるようになったんです」
また結婚を理由に退社することができた。好きな世界だったが「一生の仕事」ではないと考えていたタイミングで、いったん区切りをつけることにしたのだ。ところが──。
「平穏な幸せは1年と続きませんでした。夫はまさかのDV男だったんです。しかもそれを知った母の毒親ぶりもヒートアップして……。まさに地獄でしたね」
夫のDVが発覚したのは結婚してから7、8か月後のこと。大口の不動産案件をライバル会社に取られてしまったことが原因で、夫は家庭でも怒りといら立ちをあらわにした。そして美穂さんに、手を上げてきたという。