母に一度捨てられた
岡島さんは、日本橋の呉服問屋で育った。主な取引先は呉服店を起源とする老舗の百貨店、三越。日本橋三越本店のすぐ近くにあった間口の広い3階建ての住居兼仕事場は、岡島さんにとって格好の遊び場だった。
1階は卸問屋、2階の手前には全国の産地から買い付けてきた反物が保管されていた。大島紬(つむぎ)や結城紬、ウールなど、高価な反物が積み上げられている様子は、子どものころから見慣れた風景だ。サッカーを始めたばかりのころは、積み上げた反物の間をぬって、裸足(はだし)でドリブル練習もした。
同居していたのは祖父母に叔父叔母、そして母。父はおらず、母も仕事をしていたが、住み込みの従業員やお手伝いさんなど大勢の大人に囲まれ、寂しさを感じることはほとんどなかった。
「私ね、1歳半のとき、母に一度捨てられたんですよ」
岡島さんは笑顔でカラリとそう言った。
見合い結婚をした母は、義理の母から理不尽ないじめを受けていた。夫は頭脳明晰(めいせき)な自衛官。人柄も申し分なかったが、儒教精神の強い夫は自分の母を立てる。出産後も姑(しゅうとめ)のいじめはエスカレートするばかりだった。
このまま我慢し続けて生きるのか、それともすべてを投げ出して自由になるか──。
ある日、母は思い立った。「実家は商売を営んでいるのだから、自分にも仕事はある。実家に戻ってもお金の心配はいらないだろう」
そう考えて、家を出た。
「ただいま」
身一つで帰ってきた娘を見て、実家の両親は目を丸くして驚いた。
「娘はどうした?」
祖父はたずねた。娘とは、1歳半の岡島さんのことだ。
「置いてきちゃった。だって、連れ子がいたら再婚しづらいじゃない」
悪びれた風もなく話す母に、祖父は一喝した。
「とんでもない!子どもは連れてきなさい!」
はたと目が覚めた母は、その足で嫁ぎ先に戻り、岡島さんを連れて戻ってきたという。
「母が私を連れに戻ってこなければ、人生はまた別のものになっていたかもしれない。不思議ですよね。父と母は憎み合ったわけではないので、私も含め、その後も年に一度くらいは会っていました。母は結局再婚もしていません。普段は祖父が父がわり。あれこれ制限されることなくのびのび育てられたと思います」