私がコーチになる!
FCジンナンの活動は充実していたが、コーチが定着しない。誰かの知り合いにコーチを頼み、短期間だけ見てもらうことの繰り返しだった。
「コーチがいないなら、私がコーチの勉強をしよう」
思い立ったらじっとしていられない。D級ライセンス(アマチュアへの指導者)講習を受けることを思いついた。
そのとき、岡島さんは16歳。受講の条件には、18歳以上と明記されていた。普通ならそこで諦めるところだが、岡島さんは諦めない。とにかくダメもとで聞いてみる。
「行ってみたら、女性で初めての受講者だからと受講できることになりました。ただ、ライセンスは18歳になるまであげられないよって。私は指導法が知りたかったので、それでよかったんです。
条件に当てはまらなくても行って話せばなんとかなる。私にはこれまで、そんな成功体験の積み重ねがたくさんある。壁があっても諦めない。壁を壊すまではしないけど、壁の下をくぐったり、遠回りして壁を避けて向こう側に行ったりするのは得意なの」
その講習で岡島さんは、大きな収穫を手にした。一緒に講習を受けていた9歳年上の折井孝男さんをFCジンナンのコーチにスカウトしたのだ。当時の岡島さんを折井さんはよく覚えている。
「岡島さんは、女性初、最年少の指導者講習の受講生。まじめで前向きで、頑張り屋でした。どこか日本人らしくないタイプで、あまり物おじしない。頼まれるとなんでも引き受けるようなところもあった。指導者講習のときには、僕も報告書を手伝ってもらいました」
折井さんはその後、FCジンナンの指導者を長く続けることになった。1977年には、FCジンナンを初の国際大会「第2回AFC女子選手権(現在の女子アジアカップ)」に連れていった。その後、サッカー日本女子代表の2代目監督にも就任している。