と同時にその時から、震災にまつわることを背負うことにもなった。ソチ五輪優勝時の会見を含むあらゆるところで震災について問われ、そのたびに彼は、真摯に答えてきた。それは、彼にとって、どれほどの重さを持つことだったのだろう。どれほどのものを引き受けて、それでもスケートに向かっていったのだろうか。
すべてを黙って背負い続けてきた彼の発する言葉が、実年齢より深まった印象を与えてきたのかもしれない。
変化や進化を続けてきた
一方でアスリートとしての輝かしい業績は今さら語るまでもない。
2010年、「ソチ五輪で優勝するためには、シニアの大会に出て慣れておいたほうがいい」と15歳でシニアに上がることを決めると、シニア初めてのGP大会であるNHK杯で自身初めての4回転(トウループ)を成功させた。簡単に1文で書いたけれど、これは、そんなに簡単なことではない。その後、4回転サルコウにトライして、さらに4回転を2つ入れて……と一気に世界トップに駆け上がっていき、2013-14シーズンには、GPファイナルとソチ五輪、世界選手権で優勝を果たした。
そう、羽生は、本当にずっと、変化や進化を続けてきたのだ。
さらに、2014年中国杯、他選手と激突し、頭にテーピングをぐるぐる巻きにして臨んだフリー『オペラ座の怪人』。2015年NHK杯とGPファイナルの2大会連続で、ショートプログラム、フリー、総合得点すべてで世界最高得点の更新。2016年、史上初の4回転ループの成功。故障に次ぐ故障。ショートプログラム5位(首位と10.66点差)から逆転優勝した2017年世界選手権。平昌五輪優勝(五輪2連覇)。男子史上唯一のスーパースラム(主要な6つの国際大会すべてでの優勝)達成。4回転半への挑戦。3度目の五輪・北京出場。キャリアを通して世界最高記録更新は19回ーー。
驚くほどの進化のスピードで、ときにはドラマよりドラマチックな演技や試合運びを見せてきた。栄光を、つかみ続けてきた。
そうしたスピーディな進化と並行して、羽生には、長い間静かにあたため、育ててきたものもあった。「支えてもらっている人たちへの思い」だ。
被災した16歳のころからずっと、自分を支えてくれた人、応援してくれた人がいたからこそスケートを続けられたと、羽生は、彼らへの感謝の言葉を頻繁に口にし続けてきた。
そうした思いは、長い時間を経て次第に、「今の自分の根底にあるのは、支えてもらっている方々の期待に応えられる演技をしたい(という思い)」(2019年オータム・クラシック)、「(直前の世界選手権は3位だったが、勇気や希望をもらったと多くの人から前向きな言葉を掛けられたことで)誰かのためになれているのかな、という感じがして」(2021年国別対抗戦)、「応援してくださる方がいるから僕がここで話すことができて、スケートをやってこられて、これからもスケートを更に突き詰めていこうって思えています。自分が特別な存在とか、特別な力があるとかそんなことは全く思ってなくて。人一倍応援していただけるからこそ、僕はうまくなってるだけだってすごく思います」(2022年プロ転向会見)と、羽生自身の力の源にも変わっていった。