母の夢、借金のカタ、祖父の趣味が作った大黒摩季の下地
ある時、摩紀はピアノ曲のレコードと間違えてそれらのレコードをかけた。
「何、この汚い音(笑)。何でこんなに速く弾いてるの?」
と不思議な感覚を覚えた。母といるときは、クラシック、留守番をしている時はロック、そしておじいちゃんおばあちゃんが来ると演歌、テレビからは歌謡曲、というようなごちゃ混ぜの音楽が流れる幼少期を過ごした。
そして、もうひとつ幼い彼女にはこんな体験もあった。
「母方のおじいちゃんは、実は粋な人。実家には“開かずの間”があって、そこは屋根裏で“孫は絶対立ち入り禁止”という部屋。私は入ってみたくて仕方がなかった。
ある日、こっそり入ろうとしているのをおじいちゃんに見つかって、“あ、叱られる”と思ったら、“内緒だぞ。お前だけはいいぞ”と言って開かずの間に入れてくれたんです」
摩紀は驚いて目を見開いた。何とそこにはバイオリン、オルガン、サックスなどのあらゆる楽器が置いてあるではないか。いわゆる趣味の部屋だった。祖父は楽器が好きでコレクションをその部屋に集め、眺めたり、時に音を奏でたりしていたのだ。
それからというもの、摩紀は祖父の家に預けられるたびに、その部屋で遊んでいた。
「ママの夢のピアノ、借金のカタにもらってきたロックのレコード、おじいちゃんの屋根裏部屋というのが、幼い私に下地を作ったんですね」
小学生になると、ピンクレディー、石川さゆり、そしてニューミュージックのユーミンなどと出会う。
「あの頃の芸能界は本当に歌にあふれていた。だから急にテレビっ子になった。タレントになりたいと思ったことはないけど、何となく私は歌手にはなりたかったかな」
しかし、学校ではとにかく集団が嫌いな子だった。
「何でみんなで集まるのかわからなかった。むしろひとりで妄想してたりしてましたね。いつも跳び箱の中とか道具室とか用務員室とかに隠れているような子」
中学からは、札幌市内の私立中高一貫女子校に入学。
「音楽の時間も、クラスの中心にいる人だけが注目されるので、私が褒められたり目立ったりすることはなかった。でも放課後、勝手に音楽室に潜り込んでピアノで弾き語りをしていました。
ユーミンとか中島みゆきとか、シンガーソングライターが流行ってたから。『ひこうき雲』、『時代』、『恋に落ちて』なんかを中学生で歌ってました。まあ、そこに逃げ込んでいたんですね。でもちょっと歌がうまいってことがわかると、敵だった子たちが群がってくるのね。随分前から友達だったみたいな顔してね(笑)」
札幌で引っ張りだこのボーカルに
小学校高学年になると北海道にもFM局が増え、中学になるとテレビでも『ベストヒットUSA』が始まる。
「ホイットニー・ヒューストン、マライア・キャリー、マイケル・ジャクソン、マドンナと新しい音楽がどんどん入ってきた。札幌市内はレコード店は数軒だけだったのが、中古レコード店もできてワックワクでしたよ。そこで、15歳くらいに衝撃的な出会いがあったんです!」
それは、たまたまジャケ買い(ジャケットだけを見てレコードを買うこと)して出会ったアレサ・フランクリン。“レディ・ソウル”などの異名を持つ、ソウル・シンガーである。そこから彼女は、ソウルにも強く惹かれるように。
「かたや、レベッカからスライダーズ、モッズ、ブルーハーツ、カルメンマキさんとか、近隣の学校でロックのコピーバンドがいっぱい出てきてた。彼らの曲も全部歌えるようにしていました」
中学の終わりには、彼女は札幌のハコバン(店専属のバンド)のボーカルもやるほどに認められていたのだ。