手術後に気付かされた「不調の原因」
ずっと歌ってなかったし、喋ってもいなかった。だが、いい音が鳴ると、身体その気になってくる。自分でもいい響きを感じていた。すると、「一発OK」が出た。
そして親友のボイストレーナーでもある原田ゆか(52)のアドバイスもあり、大黒は徐々に自信を深めていった。
「トレーニングし出したら、もともと体力はあったから、ガンガン行ける感じはした」
そして、手術前はいつでもどこかしら痛かったり、むくんでたりしていたのに、そんな症状が2年ほど前から一切見られなくなったのだ。
「不調はメンタルではなく完全に病気のせいだったんだなって。その病気の元を絶ったら整って来て、身体だけじゃなくて思考のスピードまで速くなった。
いい歌を歌うには、頭も心もスッキリしてないとダメ。ビブラートをかけるとかピッチの上げ下げ、ボリュームとか。すごく細かい作業で、やることはいっぱいあるから」
ツアーのコーラスにも参加している原田は、いつもすぐそばで大黒を見てきた。
「不妊治療では男性ホルモンと女性ホルモンを交互に投与するので、声域が変動しやすい。それが全摘して投与がなくなったこと、そして体幹トレーニングの効果もあったのでしょう。さらに精神的な理由もあって、声に変化をもたらしたのだと思いますね」
生まれて初めて自分の限界が見えた
そして、大黒はツアーの最中に「あれ?」と思うことが増えたらしい。
「よく“降りてくる”って言うじゃないですか。あれは自分がああしたい、こうしたいを超えて、何かに歌わされる感覚。それが増えたの。
だから、周りのミュージシャンがいいプレイをすると、それに乗っかって予想もつかないフレーズとかが出てくる。“あらやだ、私って天才?!”なんて(笑)。やろうと思ってもできない、何というか第六感みたいな。それがポツポツ出始めるとシメタものなんです」
記憶を辿ってみると、その感覚は病気が進行する前の十代のころにもあったらしい。
「札幌のころ、レベッカのNOKKOさんやっても、誰の歌を歌っても全部その人が鳴っているの。ホイットニー・ヒューストンもマライア・キャリーもなんでもカバーできた。どこまでもキーが上がる気がしてた。
それが東京に出てきてから、どんどんヘタってきた。それは全部病気のせいだったんですね。だから今のコンディションは最高!!ただそれだけに、今回のツアーの初日に生まれて初めて自分の限界が見えて、ものすごくショックだったんですよね」
限界とは何だろう。
「6月1日、私のホームの北海道・札幌でのコンサート。この時人生で一番いい初日だった。それまでは病気だったから、というのもあるんだけど、滞っていたものが復帰してからどんどん繋がってきた。
今、最高レンジのぶっちぎりくらいのところにいるんですけど、それが“ここらへんが私の最高値なのかな”と分かっちゃった」
それはスポーツ選手が「自分の限界を知って」引退を決める時のようだと言う。
「歌い手って、ほとんど運動能力なんですよ。“あ、ここなんだ!天井っていうか、限界って”というのが明確に見えたような気がした。だからすごい落ち込んだんですね」