「いい女がいる」の誘い言葉で文学座へ
そして、'61年に運命の扉が開く。
「文学座が研究生を募集しているから一緒に受けようと、友達から誘われてね。芝居なんか見たこともないし、興味もなかったけれども、“いい女がいる”っていうから冷やかしで受けた」
文学座は俳優座、劇団民藝と合わせ新劇三大劇団のひとつ。今でいえばオーディションで、面接官の顔ぶれにどこかで見覚えのある人がいた。「あの人、誰?」と尋ねると、「杉村春子先生だぞ」とほかの受験生にあきれられた。
音楽の試験。配られた楽譜が読めない。「ドは、どれですか?」と聞き、譜面に「ソ、ファ、ミ」と書き込みながら読んでいると、「キミ、朗読じゃないんだから歌いなさい」とイエローカード。
声楽の試験では、後に世界的指揮者として名を馳(は)せる若杉弘さんのピアノ伴奏で、各自が得意なクラシックの楽曲を歌った。でも、寺田の十八番はカントリー&ウエスタン。
「伴奏できないって言われたから、Am(マイナー)とDmとFの3コードで弾ける曲を自分でギターを弾いて歌ったんだ」
ピンチを奇策で切り抜けた。そして、最終試験はシェークスピアの『ハムレット』にある「第一独白」の朗読。
《この穢らはしい體──》
劇団の演出家でもある福田恆存(つねあり)さんの翻訳は旧仮名遣いで漢字も旧字体、新劇を志す者なら知っていて当然。ふりがななんかついていない。
「これ何と読むんですか?」
「けがらわしい、です」
「次の、この字は?」
「からだ、です」
「じゃあ、次の……」
「キミ、もういいです」
2枚目のイエローカード。だが、タイムアップの直前に面接官をしていた名優・芥川比呂志さんが聞いた。
「大きい声、出せますか?」
デカい声ならいくらでも出せる。なにしろ中高時代はサッカー部のキャプテン。思いっきり大声を張り上げて、寺田の試験は終わった。
結果は、合格──。「これからの時代、ああいう変なヤツがひとりくらいいても面白い」という芥川さんのひと言で、寺田は文学座の研究生になった。
「だけど、入ってみたら“いい女”なんかいないんだよ。オレ、高1のときにヒッチコックの『めまい』を見て、主演女優のキム・ノヴァクが憧れの女性だったの。そんな年上のすてきなお姉さんと出会えるかと思ったら、横にいたのは希林だもん(笑)」
研究所の第一期生は、北村総一朗、草野大悟さん、岸田森さん、小川眞由美、橋爪功……、最年少の18歳が寺田と樹木希林さんだった。
出番はすぐに訪れる。その年の暮れ、三島由紀夫が書き下ろした『十日の菊』の初公演。愚連隊のような変なヤツが登場する芝居に「ちょうどいいのがいる」と、寺田に白羽の矢が立った。
「困っちゃってね。大学には行けなくなるし、稽古では演出家からバカヤローって怒鳴られるし。台本を放り出して帰ろうとすると、文学座の先輩だった山ざき努さんが“我慢しろ、芝居はこういうもんなんだ”ってなだめてくれたけれども、オレは我慢、苦労、忍耐、努力って言葉が昔から大嫌いなんだよ」
イヤイヤ上がった初舞台。寺田の演技を「実にイキイキしていた、素晴らしい!」と大絶賛したのは、作者の三島だった。以降の舞台でも役がつく。稽古が忙しくなり、大学は中退。家も出て寺田はひとり暮らしを始めた。
「ズルズルと役者の道に入ったという感じだね。いまに至るまでオレは自分の意志で“かくありたい”と思って生きたことがないの。飽きっぽいし、すぐに目移りするし。そういう意味ではプロフェッショナルじゃない。“偉大なるアマチュア”なんだ(笑)」