北京五輪のショートプログラムが行われたのは、昨年2月8日のこと。
「羽生さんは、『序奏とロンド・カプリチオーソ』で演技に挑んだのですが、1つ目のジャンプの4回転サルコウを跳ぼうとした際、他の選手の演技でできた穴にはまり、1回転となってしまったのです」(スポーツライター)
このアクシデントが響き、羽生は8位発進。2日後に行われたフリースケーティングで追い上げるも、メダル獲得には一歩及ばず4位となった。
「先日の東京ドームでは、前半の終わり際に試合さながらの6分間練習が始まり、英語で“日本代表・羽生結弦”というアナウンスが流れ、北京五輪の雪辱を果たすべく、『序奏とロンド・カプリチオーソ』を演じました。そして、ファンが固唾をのんで見守る中、見事ノーミスで滑り切ったのです」(同・スポーツライター)
この“リベンジ”にもっとも心を打たれたと話すのは、羽生を小学2年~高校1年まで指導していた、フィギュアスケートコーチの都築章一郎さんだ。
元コーチも感動「夢を叶えていく姿を見ていきたい」
「今回の大きな目標だったのではないかなと思います。 それほど、オリンピックで負けたことに、葛藤があったのでしょう」(都築さん、以下同)
都築さんは、東京ドームで演技を見守っていたそう。
「羽生から声をかけてくれて、席を取ってもらって家族で見に行きました。直接の挨拶はできませんでしたが、公演後に“私が教えた子どもが素晴らしい青年になって、多くの人たちにフィギュアスケートを見せてくれたことに感謝している”とメールをしました。送ったばかりで返信はまだきていませんが……」
羽生からの“GIFT”は恩師にも届いたようだ。3月10日からは地元・宮城県での公演を控える羽生に、都築さんはこんな期待を寄せる。
「羽生の生きざまとして、新たな挑戦をする気持ちは、小さい時から持っていました。これからも夢を叶えていく姿を見ていきたいですし、どんな夢を見せてくれるのか非常に楽しみです」