目次
Page 1
ー あべ静江のマネージャーが振り返る
Page 2
ー 退院翌日からラジオに続いて歌のステージに
Page 3
ー 校内一の美少女。男子に恐れられ
Page 4
ー 正義感に燃えていた学生時代 ー 人気DJから歌手へ、人生の扉が開く
Page 5
ー 葛藤しながら歌った『みずいろの手紙』
Page 6
ー 交際会見から一転、突然のスキャンダル
Page 7
ー 同時代を生きた仲間は、私の宝物
Page 8
ー 50周年コンサートは故郷の地で

 何の予兆もなく病は襲ってきた。「それまで病気知らず」だった、あべ静江(71歳)が、脳梗塞で救急搬送されたのは昨年3月のこと。本人は「その前後の記憶がない」と言う。

あべ静江のマネージャーが振り返る

 初めに異変に気づいたのは、テレビの収録のために早朝にあべの自宅を訪れたマネージャーの伊藤裕之さん。伊藤さんから連絡を受けたチーフマネージャーの古家千春さんはこう振り返る。

「いつも“おはよう!”って笑顔で挨拶するのに、何しに来たの? みたいなムッとした顔で、やけに無愛想。そのうえ、自分でメイクを始めたら、シェーディング用の焦げ茶色のファンデーションを顔全体に塗って。明らかに様子が変でした」

 収録スタジオに入ってから古家さんは、あべのかかりつけ医に電話をして異変を伝え、判断を仰ぐと─。

「脳梗塞の疑いがあるから救急搬送したほうがいい」

 医師の言葉に驚きつつ、救急車を呼んだ。だが、コロナ禍で病院は混乱のさなか。搬送先はすぐには決まらない。

「病院に運ばれたのは救急車を呼んだ1時間後。検査の結果、『両側視床の脳梗塞』と診断されました。記憶や情報処理をするところの一部に詰まりがあって、そこの神経細胞は戻りません、と医師に言われて。記憶がちょっとなくなるかもしれないけれど仕方ない、と覚悟しました」

 と古家さん。あべ自身は、当時を振り返ろうにも、入院中の記憶が断片的だと話す。

「個室が空いてなかったみたいで、目が覚めたら4人部屋で寝ていて。“何なの、ここは?”って思ったのが最初の記憶かな。隣のベッドから話し声が聞こえたり、テレビでニュースを見たせいか、自分はコロナで入院していると思ったり。そういう記憶が写真のように1枚1枚頭に浮かぶけれど、動画のようにはつながっていないんです。断片的にしか覚えてないの」

 血液をサラサラにする薬の点滴と検査を何度も行い、1か月後に退院。その後は機能回復を行うリハビリ専門の病院へ移った。

看護師さんと外を散歩したりするのですが、幸い身体の麻痺などの後遺症がなかったから、つらいことはなく、普通に歩いていましたね。記憶が曖昧なこともあって、私自身は病気に対してあまり深刻にならずにすみました