メキシコ留学で学んだプレゼンする力
復帰後、宇野久子はリングネームを改める。当時、タッグを組んでいたみなみ鈴香選手にならい、当時の広報部長が「『ウルトラマンA』は、みなみと北斗が合体してウルトラマンになる。だから、宇野は北斗でいいんじゃないか」と思いついた。“晶”という名前は、北斗さんが好きだったレスラー、前田日明から拝借したものだった。
だが、リングネームを変えただけで強くなり、人気が出るなら苦労しない。それが可能ならすべてのレスラーが改名する。「メキシコ遠征がひとつのターニングポイントになった」。そう北斗さんは回想する。
「言葉が通じないから水の1本も買えなかった。その事実は、私に火をつけました。自分で何とかしなければいけないという意識が芽生え、プレゼンする力も養われた」
さらには、メキシコのプロレスが肌に合った。プロレスには、善玉であるベビーフェイスと、悪玉であるヒールという二大構造があるが、メキシコにはヒール的な役回りをする“ルーダ”というポジションがある。枠にとらわれず、自分勝手に振る舞うためブーイングこそ浴びるが、どこか憎めない。あえて日本風にたとえるなら、自由を愛する傾奇者のような存在だろうか。子どものころおてんばだった北斗さんは、“ルーダ”として水を得た魚のように躍動する。帰国後、日本のファンもその姿に魅了されていく。
前出の堀田さんは、「北斗は徹底してプロフェッショナル。意識がまったく違っていた」と舌を巻く。
「デンジャラス・クイーン北斗晶になってからは、それまでの女子プロレスという領域をはるかに超えるものとなった。金髪に独特のメイク、入場姿は般若のお面をかぶって着物姿に木刀! 当時の私には思いもつかない北斗晶の演出には脱帽だった」
神取忍と死闘を演じた伝説の試合は、今でもファンの間で語り草になる。ファンは畏敬を込めて、北斗晶を“デンジャラス・クイーン”と呼ぶが、突出したプロ意識があったからこそ、彼ら彼女らは熱狂した。
「語られるレスラーが一番だと思うんですよ。(ジャイアント)馬場さんとか猪木さんって今でも、“どっちのほうがすごい”とかファンの間で語られるでしょ。私は、ファンの頭の中でプロレスができるプロレスラーでいたかった」
北斗晶がリングに上がる。それだけでチケットは飛ぶように売れた。
「高いチケットを買うお客さんだけを相手にしたら“終わる”と思っていました。私の中で一番肝心なお客さんは、会場のもっとも遠いところにいる、立ち見のお客さんや3000円のチケットを買った人たち。“北斗すごかった。もっといい席で見たい”って思ってもらえるように試合をしていた」
リングインしてガウンを脱ぎ捨てると、黒いマニキュアや黒い口紅など、ディテールにこだわったプロレスラー・北斗晶が現れる。メキシコ時代に培ったものだった。
「遠くから見えるように黒いマニキュアをしてました。黒い口紅は、私が噛みつき攻撃をしたときに、噛みつかれた人はその部分が真っ黒になる。そういう小さなことが、大きく見えるプロレスラーになりたかったんです」
神は細部に宿るという。小さな点を大きくする─。それは、北斗さんが体現したプロレスにも言えることだった。