失敗だって自分次第で立派な“点”に
現在、プロレスリング・ノアで活躍する中嶋勝彦選手は、16歳のときに佐々木・北斗夫妻のもとで寝食を共にし、プロレスを学んだプロレスラーだ。北斗さんが、「息子」と呼ぶほど特別な愛弟子でもある。約20年前の思い出を、中嶋さんは一つひとつ丁寧に思い出す。
「あの当時は、佐々木(健介)さんと僕はフリーの立場だったので、次の試合が約束されてない状況でした。そのため、佐々木さんと2人で試合に出かける際は、必ず北斗さんが玄関でお見送りをしてくださり、『次の試合をつかんでこい!』と活躍を願ってくださっていました。落ち込んでいると必ずフォローしてくださる母であり女将さんのような存在で愛情の深さ、優しさにいつも救われていました。北斗さんのフォローのおかげで、つらいときも逃げ出さずにいられたといっても過言ではありません」
そして今、中嶋さんはトップレスラーの1人として、北斗さんを彷彿とさせる殺気あふれる試合でファンを魅了している。
「北斗さんからは、『人と同じことをするな』と教えていただきました。『誰もやってないことをやれ』と声をかけていただき、帽子のかぶり方の細かい角度など、北斗さんのご自宅の鏡を見ながら、北斗さんご愛用の帽子を借りて練習したことがあります。理屈だけでは到底まねできない北斗さんのポリシーを、いつも今でも学ばせていただいています」(中嶋さん)
北斗イズムは受け継がれている。一方で、北斗さんは現在のプロレスとは距離を置いている。
コロナ禍、大きなダメージを被った女子プロレスは、各団体からなる組織団体『Assemble』を立ち上げた。北斗さんも発起人の1人として、間接的ではあるものの実に18年ぶりにマットの上へ足を踏み入れた。「プロレスにかかわり続けてほしい」と願っていたファンは待ってましたとばかりに会場に詰めかけたが、当の本人は「私はプロレスを“する”のが好きです。“見る”のは嫌いです。戦うことが好きだった」と言い切る。
「今は芸能人としての北斗晶ですから、当時のプロレスラー北斗晶には戻れない。しがみつくことがないんですよ。何かをやるのが恩返しと思われがちですけど、語らないことも恩返しだと思っています」
同じく、『Assemble』のマットに上がった戦友である堀田さんは、そんな北斗さんの姿をどう見ているのだろうか?
「今の自分と昔の北斗晶を分けているということがとても伝わってきます。おそらく、今の女子プロレスに言いたいこともあると思うんです。でも、決して口に出さない。これも北斗晶のすごいところ」(堀田さん)
そういえば、取材中に週刊女性カメラマンが、「ファイティングポーズをお願いできますか」と、北斗さんにリクエストをする瞬間があった。笑いながら、「今はそういうのをしないんです」ときっぱりと断る姿を見て、「この人は今を生きている」のだとひしひしと伝わってきた。