女子プロレスの中で突き抜けた存在だった北斗晶
「女子プロレスの中で、北斗晶という突き抜けた自分がいた。だから、私は他の選手の引退式も絶対に行きませんでした。私が行ったらどうなる? 食っちゃうよって。今でもよく“北斗晶2世”なんて書かれたりするけど、絶対に私みたいにできないという自負がある。同時に、北斗晶の存在がかすむくらい、今の女子プロレスが盛り上がってほしいって気持ちもあるけどね」
舌鋒鋭く、歯に衣着せぬコメント力は、取材であっても健在だ。
そのコメント力をいち早く見抜き、タレント北斗晶を開花させた番組が、北斗さん自身初となるレギュラー番組『5時に夢中!』(TOKYO MX)だろう。それまでの北斗さんは、鬼嫁キャラとして番組に呼ばれていたが、同番組によってコメンテーターとしての才能が花開く。
当時のプロデューサーである現TOKYO MX取締役の大川貴史さんは、「僕自身、プロレスファンだった。北斗晶というレスラーは、観客の心を一瞬でつかむマイクパフォーマンスも魅力的だった。そのコメント力をテレビでも生かせないかと思ってオファーしました」と明かす。
今年、北斗さんはレギュラー17年目を迎える。その間には、がんとの闘いもあった。テレビ復帰最初の舞台は、『5時に夢中!』だった。
「力がないローカル番組にもかかわらず、『5時に夢中!』を選んでくださって感動しました。北斗さんの筋の通し方、人間としての分厚さを感じます」(大川さん)
乳がんは右脇のリンパに転移。医師からは「5年の生存率は50%」と告げられるほどだった。'15年9月、北斗さんは右乳房全摘出手術を受ける。そのときの心境を、自身で次のように思い返す。
「自分の胸が片方ないわけですから、涙も出ましたよ。でも、なきゃないで生きていられる。それにお涙頂戴という話ではないんです。闘病中も、息子たちは『今日のご飯何?』って聞いてくるし、健介は『あれってどこに置いたっけ?』なんて聞いてくる。もちろん、家族みんなで乗り切ったんだけど、“私がいなきゃ本当にダメだな”と思ったんですよ(笑)。人間って頼りにされることが必要で、無力感を感じるとやる気もなくなる。闘病中でも、自分が必要とされていると思えたことが、結果的に良かったんじゃないかなって思うんです」
母は強し、とはこのことか。
前出、プロレスリング・ノアの中嶋さんも、その強さに兜を脱ぐ。
「僕が、佐々木さんのご自宅に息子のように招いていただいたとき、北斗さんの年齢は30代半ばだったと思います。今の自分の年齢と、そのころの北斗さんの年齢が近づき、今の自分と照らし合わせて想像することがあります」
中嶋さんは、当時佐々木健介さんが所属していたプロレス団体に入門するも、まもなく倒産。母子家庭に育った中嶋さんは、親孝行したい一心でプロレスを諦めきれず、わらにもすがる思いで、佐々木家のベルを鳴らした。
「どこの馬の骨かわからない僕を、いくら愛する夫が頼むお願い事だからと了承したことは、本当に大きな決断だったと思います。佐々木さんはフリーになったばかりで仕事も安定しておらず、ご家族だけでも生活していくのが大変な時期だったと思います。今の僕にできるかと言われたら、絶対にできません。受け入れてくださったご夫妻の懐の深さは、一般では考えられないほどだと、僕は思っています」(中嶋さん)
TOKYO MX・大川さんも、「北斗さんは包容力のかたまり」とうなずく。
「ご自宅におじゃまさせていただくと、『大川さん、メシ食べていきなよ~!』なんて友達のお母さんみたいなことを言うんです。安心感でしょうね。日本人が失いかけているお母さんの郷愁みたいなものを体現されている方です」(大川さん)
そして、期待を込めて大川さんはこんなエールを送る。
「これからの日本は、おばあちゃんになっても働かなきゃいけない時代になっていく可能性が高い。初孫の報を受け、北斗さんは令和の時代の新しいおばあちゃん像、そのロールモデルになるような気がしています。北斗さんは、やはり“持っている人”だと感じます」
祖母になれば、またひとつ点がつながる。北斗さんは、「特別な点である必要なんてないんです」と付け加える。
「私は手芸が得意だということで、テレビ番組の仕事が取れ、しかも鬼嫁メイクだったので、そのギャップが面白いと反響を呼びました。その後、料理もできるということで料理番組にも出させていただき、『セブン―イレブン』から“お弁当を作りませんか? スパゲティはいかがでしょう?”というオファーをいただきました」
プロレスラーを目指す前、北斗さんはお金を貯めるために『セブン―イレブン』で1年間バイトをしていたという。残数チェックをしていた北斗さんは、在庫管理のノウハウが頭の中に残っていた。
「売れるのはハンバーグですと伝え、私はロコモコ弁当を提案しました。結果、おかげさまでそれなりにそのお弁当は売れたんです。特別なことをする必要なんてないんです。何げないことがつながるんです。失敗だって、自分次第で立派な点になるんです」