石原軍団の撮影中にガラスの破片が目に入り失明危機

左から石原良純、舘ひろし、渡哲也さん、御木、柴俊夫。『西部警察PART-Ⅲ』最終回の撮影後の大門軍団
左から石原良純、舘ひろし、渡哲也さん、御木、柴俊夫。『西部警察PART-Ⅲ』最終回の撮影後の大門軍団
【写真】舘ひろし、渡哲也さんなど大門軍団が勢ぞろい

 上京すると『石原軍団』の一員になっていた。

「舘ひろしさんがまだいないころの石原プロで、寺尾聰さんはいました。で、寺尾さんに“新人か、頑張れよ”と言われたのを覚えています。そのとき初めて聞いたんですよ。“おまえをレギュラーで出すからな”って。僕は『太陽にほえろ!』は知っていたけど『西部警察』は見たことがなかった。高校はカナダに留学していましたから。

 それで1週間ぐらいたった後に、ハワイから帰国した石原裕次郎さんと会って。赤いガウン姿で“おまえんち、行ったことあるよ”と声をかけてくれました」

 それから銀座で飲み歩くように。

裕次郎さんが『ドンキホーテ』という店に連れて行ってくれました。勝新太郎さんと、いつも兄弟ゲンカみたいな恒例の言い合いをやって、女優や歌舞伎俳優もいて、銀座のお姉さんたちが集まってくる。店には裕次郎さんの曲がいつも流れていました

 撮影現場に裕次郎さんが現れると空気が一変したという。

「ピリピリとはするんだけど、嫌な緊張感じゃない。みんな、生き生きと動き出す。硬くなるんじゃなくて、裕次郎さんの大らかさに包まれているような。

 でも、裕次郎さんはいつもベロベロで現場に来るから酒臭い。酔ってるから“ヨシッ、全員出動してくれ”っていう決めゼリフが言えない(笑)。裕次郎さんだから許された現場でしたね

 『西部警察』は派手なアクションで知られる。飛ばしたヘリコプター延べ600機、1話で車を20台ぶつけ、合計4680台を壊した逸話も。

国会議事堂の前に戦車を出したりね。今ではありえないでしょ。首都高を封鎖したり。何をやっても許された。時代の波が石原プロに来ていたんでしょうね

 アクションシーンの撮影は、危険と隣り合わせだった。

銃撃シーンで、近くのガラスがパリーンと割れて、その破片が僕のほうに飛び散ってきて、目の中に入ったんです。救急車が来るまでの間、もがき苦しむ僕の姿を見て、寺尾さんが僕の目を直接、ペロッと舐めたんです。そうやってガラスの破片を取り除いてくれたんですよ。おかげで失明せずにすみました

 同じ石原プロ作品でも『西部警察』の結束の強さは群を抜いていたらしい。

「神田正輝さんは『太陽にほえろ!』のほうに出ていたんですが“軍団”という言葉をうらやましがっていましたよ。“いいよな、そっちは。『太陽』は、みんなバラバラだからさ”って。『西部警察』は、いつも団体行動だったんです。ロケではゲストの俳優さんも一緒にご飯を食べる。地方ロケはガヤガヤと人が集まっちゃうし、忙しくて遊ぶ暇はなかったですけどね」

 当時は神田と舘ひろしの不仲が報道されたことも。

撮影現場にマスコミがいると、舘さんが“おい正輝、こっち来い”って言うんです。聞くと“俺らが横に並んで座んねえと仲悪いといろいろ書かれるだろ”って(笑)。
 どちらも昭和25年生まれ。舘さんは3月31日の早生まれで、神田さんは12月生まれだから、学年は舘さんが1つ上。だけど、石原プロでのキャリアは神田さんのほうが先輩という微妙な関係なんです