芸能一家で育てられた特異な幼少期
安藤が物心ついたときには、家に他人がいることが当たり前だった。夜になると父の俳優仲間や監督など映画人が大勢集まり、リビングであぐらをかいて、「あの作品はどうだ」「この脚本はこうだ」と談議しながら宴会が始まる。安藤や妹のサクラが朝起きると、皆べろべろに酔っ払いながら、まだ同じ体勢で話し続けていたという。
住み込みで父の付き人になる俳優志望の若者が何人もいて、よく遊んでもらった。夢をかなえた人もいれば、問題を起こして破門になった人もいる。
「他人が家庭内に入っていることで、人の感情の喜怒哀楽をたくさん目にしましたし、父が付き人さんを厳しく指導する姿も目の前で見てきました。そうした人間ドラマを客観的に見続けてきたので、すごく早い段階で自分のアイデンティティーを意識したんじゃないかと思います」
両親は「一流のモノを知らないといけない」とさまざまな体験をさせてくれたが、普段の生活は質素で、父からは繰り返しこう言われた。
「芸能人の娘だからといって、特別意識を持つな」
俳優としての父は家でも役になりきるタイプ。安藤がギターの弦で指をバッサリ切ったとき、外科医の役を演じていた父に傷を縫合されたことも!
「私が小学校に上がる前ですね。怖すぎて、痛みの記憶はなくて、ただ、抜糸のときの皮膚が引っ張られる感覚は忘れられないです。ケガすると全部、父のよくわからない方法で治されました(笑)」
小・中・高校は学習院に通った。安藤は集団行動が苦手で、教室にじっと座っていられない。突発的に動いては先生を困らせて、母がひんぱんに呼び出された。
「成績も極端で、問題児でした(笑)。でも、母が、『得意、不得意があるのは当たり前だから、いいところを伸ばしていけばいいのよ』と言って肯定して、感性を伸ばすようにしてくれた。すごく助かりました」
同級生は名家の子女が多く芸能人の親を持つ子は他にいない。子どもは異質なものに敏感で残酷だ。
「いじめられたこともあるのでは?」と聞くと、安藤はひと言。
「ありすぎて。アハハハ」
笑い転げて、こう続ける。
「本当にね、幸せ脳を持って生まれて、イヤなことがいっぱいあっても、忘れるんですよ。いじめられたときに感じた痛みは残るんですよ。だけど、誰にされたとか、忘れちゃう。これは父譲りです」
はっきり覚えているのは、からかわれたり仲間外れにされたりしたことだ。
「あ、芸能人の娘が来た!」
「安藤さんとは一緒に帰らない」
皆と違うことをすると「特殊な家庭環境だから、教育が行き届いていないんじゃない」と言われ、孤独を感じることも多かったという。
「誰も私のことを知らない場所に行きたい」
そう思い始めたのは、まだ小学校低学年のころだ。
両親に懇願し、義務教育を終えた高校1年生の夏に、イギリスの全寮制高校に入学した。留学先でも、最初は人種差別によるいじめにあったが、なじむにつれ周囲の人たちから日本のよさを称賛される機会が増える。初めて「日本人に生まれてよかったな」と感じた。