懸命に働いても「2世だから苦労してないよね」
驚いたのは、家族の話をしたときの友人たちの反応だ。「うわー、親が映画監督で俳優なの? すごい!」「首相のひ孫なの? すでにセレブリティー!」
日本では、2世であることがマイナスに作用することが多かったのに、真逆だ。
「私は目からうろこが、もう、何十枚もボロボロ落ちるくらい、ビックリしました(笑)。だからといって、いきなり向こうの友人みたいに家の自慢はできないけど、プラスの要素として生かしてもいいんだと初めて思えたんです」
ロンドン大学芸術学部に進み、卒業後はニューヨークで映画作りを学んだ。大学の夏休みに一時帰国して、父が監督した映画『少女』の撮影現場に参加。「映画と恋に落ちた」のだという。
「映画監督になりたいと父に宣言しました。映画って、1人で作るんじゃなくて、プロフェッショナルな人たち皆が同じ方向を向き、チームワークで作り上げる。その現場に惚れたんですね」
23歳のとき日本に帰国して日活撮影所で助監督見習いとして働き始めた。映画監督を頂点にしたピラミッドの底辺からのスタートで、平均睡眠時間は2~3時間で月給は10数万円。時給換算するとわずか200円だ。
「どうせ2世だから苦労していないよね」
懸命に働いても、相変わらず陰口をたたかれる。トイレで1人泣くこともしばしばだったという。助監督を4年間務めた後、'10年に長編映画『カケラ』で監督・脚本家デビュー。翌年には、小説『0・5ミリ』を書いて、作家としてもデビューした。
異例の速さでデビューできたのは「2世」だからかもしれないが、そのチャンスをものにしたのは、安藤自身の実力だ。