それまでブスと言われたことがなかった
中高時代は仲間の前でものまねや漫才を披露し、学内にファンクラブができるほどの人気者となる。短大進学後は寄席演芸研究会に所属して腕を磨き、テレビ出演禁止の校則をかいくぐって、偽名で数々の番組に出演。ものまねをベースにした漫談が評判を呼び、注目の存在に。短大卒業間際にはドラマ『野々村病院物語』に出演も決定。大反対する父親を押し切って芸能界入りした。
「家ではお姫さまのように育てられたので。自分は可愛くて華やかな部分があるから、テレビに出してもらってると、最初は思ってたんですね。ところが、出演したドラマに夏目雅子さんがいらして、あまりのきれいさにびっくり。
あぁ、自分は可愛いから呼ばれたんじゃなくて、面白いから呼ばれたと気がついた。それからは面白いことを頑張ろうって、道がはっきりしました」
男性芸人からブス扱いされて、父親が激怒したこともあった。
「それまでブスと言われたことがなかったので、最初言われたときはちょっとびっくりしましたけど、それで笑いが取れるなら私はかまわないと思ってました」
デビュー直後から売れっ子になり、女性としてのライフプランは大きく変わった。
「母方の祖母が、『女は23歳ぐらいでみんな結婚するんだよ』とよく言ってたんで、自分もそうだとずっと思ってたんですよ。ところが仕事を始めて、23歳になっても結婚できなかった。ただ、仕事は楽しかったし、どんな家庭をつくりたいかと考えても、何も浮かばないから、私はこのまま結婚しないんだなぁって自分で納得してたんです。
それなのに、『なんで結婚しないの?』って、まわりからしょっちゅう聞かれる。ワイドショーはもちろん、全然知らない人からも結婚についていろいろ言われるようになって。さすがに気が病んでしまったこともありましたね」
邦子さんが20代を過ごした1980年代は、女性を「クリスマスケーキ」にたとえ、25歳過ぎて未婚だと売れ残りとして扱うような風潮があった。
「よく観察すると、幸せそうじゃない人にかぎって、とやかく言ってくるんですよね。それで、“何で結婚しないの?”と聞かれたら、“ブスだからです”って答えるようになったんです。そしたらそれ以上、相手は何も言ってこなくなるから。それでも、39歳で結婚するまで、ずっと聞かれ続けましたね。
忙しい中でも恋愛はしてました。お笑いやってるから、モテないってことはなかったですよ。まぁ、時にはびっくりするぐらいの失恋をして、道に倒れて泣いたなんてこともありましたね。そしたら、コートかけてくれる人がいてね。見たら、いつも行ってるおすし屋さんのいちばん若い子で。それで、はっと正気に戻って、立ち直れました(笑)」
仕事はずっと順調だった。バスガイドネタが評判となり、『邦子のかわい子ぶりっこ(バスガイド編)』でレコードデビューも果たした。
1981年、お笑いの流れを大きく変えたといわれる『オレたちひょうきん族』が始まった。若き日のビートたけしさん、明石家さんまさん、島田紳助さんなど、笑いの猛者たちが集結。数少ない女性として出演することになった邦子さんは、それまでにない「悔しい思い」をすることになる─。
構成・文/伊藤愛子●いとう・あいこ 人物取材を専門としてきたライター。お笑い関係の執筆も多く、生で見たライブは1000を超える。著書は『ダウンタウンの理由。』など