目次
Page 1
ー 国分にも「成功できなかった理由」を聞いた
Page 2
ー 理由は「練習嫌いだったからでしょ」
Page 3
ー 生中継で「ムチャぶりしないで!」

 

『現代ビジネス』が5月23日に配信した、元プロ野球選手・斎藤佑樹氏とジャニーズグループ『TOKIO』国分太一による対談記事が関心を集めている。

 2021年シーズンをもって11年間にわたるプロ生活に幕を下ろし、同年に名前を社名にした「株式会社斎藤佑樹」を設立してリスタートを切った斎藤氏。

 片や、2021年4月にジャニーズ事務所から社内独立する形で城島茂、松岡昌宏と共に「株式会社TOKIO」を設立。2022年5月にも、自身が代表を務める「TOKIO-BA」を立ち上げた国分だけに、会社経営に携わる“社長”同士のビジネス対談となった。

 5月15日より4回に分けて配信された対談記事では、【「斎藤佑樹」という存在は、最強コンテンツだと僕は思っているんですよ。】などと終始、斎藤氏のビジネス感を評価し続けた国分。

 同氏もまた、福島県西郷村から地方創生に取り組む「TOIKO-BA」の活動に興味津々、質問が尽きない様子で、読み応えあるビジネス対談が展開されている。

 ところが、物議を醸しているのが最後に向けられた国分への質問だった。

 2021年10月に放送された、NHK『密着 斎藤佑樹 “ハンカチ王子”最後の日々』を手がけた担当ディレクターが、早稲田実業高校時代の1学年上の先輩であることを明かした上で、以下のアドバイスをもらったという斎藤氏。

【「斎藤が野球の指導者として現場に戻ろうと考えているのなら、今のうちにやっておいたほうがいいことがある。斎藤佑樹がなぜプロ野球で活躍できなかったのか、いろいろな人に訊きまくれ」】

国分にも「成功できなかった理由」を聞いた

 2006年の夏の甲子園決勝戦で駒大苫小牧のエース・田中将大投手との投げ合いを制し、早稲田大学進学後も次々と記録を塗り替えた斎藤氏。4球団競合の末にドラフト1位で『北海道日本ハムファイターズ』への入団が決まると、プロ野球ファンの誰もが輝かしい未来を想像したものだ。

 ところがルーキーイヤーに6勝を挙げるも、以降は度重なる怪我や不調に悩まされてか二軍暮らしが続き、結局は通算15勝の物足りない数字に。ディレクター先輩が明言した、《プロ野球で活躍できなかった》のは間違いないところ。

 そして斎藤氏は、国分にも“斎藤佑樹がプロで成功できなかった理由”を訊きまくったのだ。