父と姉の死がきっかけで葬式もお墓も断捨離
東京・港区にある高層マンションの一室─。やましたさんは、笑顔で出迎えてくれた。
この前日、やましたさんは、ある講演会のゲストとして登壇していた。
「講演会のテーマは“死”でした。私は、日常がフィールドなので、日常で“死”をどのように捉えていくか、ということを個人的な話も含めながら話してきました。私の立場としては、“死”に伴う社会環境として何を断捨離するかなんですが、まず葬式自体を断捨離、お墓も断捨離していい。そういう話をしてきました」
葬式とお墓を断捨離とは、どういうことだろう。
「私が初めて経験した家族の死は父でした。父と母は非常に折り合いが悪くて、母は父へのグチを垂れ流しながら生きていたような人だったんですね。今でいう熟年離婚をするような典型的な夫婦でしたから。でも別れることはなく、最終的に父の具合が悪くなり、アルツハイマーも発症して大変だったんです」
ところが、いざ父親が亡くなると、母は泣いてみせたのだった。
「“お父さんなんて大嫌い”と言ってた人が泣くんですよ。びっくりですよ。死んでほしかったんじゃないのと思っていたから。で、しばらくしたら“あー、せいせいした”とあっさり言う」
夫という縁の深い人でも、結局母にとってはそういう存在でしかなかったのか─。
「その時、人を招いてまで葬式をする必要はどこにあるんだろうと疑問が湧きました。そして、追い打ちをかけたのは、姉の死でした」
やましたさんには、5歳年上の姉がいた。彼女は、ドイツ人男性と国際結婚をし、ドイツ在住だった。
「突然死でした。バスルームで手首を切ろうとした。でも亡くなった直接の原因は、その傷ではなかった。姉は脳幹に腫瘍があり、自殺しようとしたときに破裂して亡くなったんです」
やましたさんが到着するまで数日間、姉の夫はお葬式を待っていてくれた。
姉を荼毘に付すとき、火葬場にはやましたさんと姉の夫、そして日本人の姉の友人女性2人が立ち会ったという。
「で、いよいよ焼場のドアが閉まるとき、友達の1人が姉の名前を叫んで号泣したんですよ。私は、その姿を見て“引いた”んですね。私は泣くこともできない。胸が痛いだけで、涙も出なかった。なのに彼女は、叫びながら焼場のドアをバンバン叩くんですよ」
その後、姉の夫が食事会を開いてくれた。そこで、やましたさんは再び驚くことになる。
「あんなに泣き叫んでいた彼女が笑いながらごはんを食べているんですね。で、“こんな葬式、いらない”と思った」
やましたさんは「嘘っぽい」と感じたのだ。
「第三者の葬式だったら、社会的なつながりがあればお花でも送るけど、私は葬式には一切出ないって決めました。で、自分にとっての大切な存在の死なら、自分ひとりで泣きたいなと思ったの。そういうことに煩わされたくないと思ったんですね。だから喪服も断捨離したから持ってない」
お墓もいらないという。
「ブータンに2度行ったことがあるんですが、チベット仏教の考えが残っているところで、墓石という概念がない。遺体というのはその人が脱ぎ捨てた服、という感覚なんです。“ああ、これだ”と私は思いました。お墓もいらない。その辺に撒いてくれればいいからと思ったんですね」
やましたさんは、夫にも息子にも「お葬式なんかはやってほしくない。お墓もいらない」と伝えている。