ため込みは執着の強さと不安の表れ
やましたさんは、1954年、東京・立川市で生まれ、町田市に移り住み、大学卒業まで過ごした。
父は石川県小松市出身で、大阪から疎開していた母と小松市で出会い結婚、2人で東京に出てきたのだった。
「父は、警視庁の試験に受かって出てきたんですよ。それから警察官になって、その後退職して、保険会社のサラリーマンになりました。事故調査の仕事ですね」
姉は破天荒な人。18歳になると「とにかく留学したい」と言い出して、アメリカの新聞社に手紙を書いて、ホストファミリーを自分で見つけ、英語を自分で勉強したいからと、まず日本の米軍キャンプに就職。2年間お金を貯めて渡米し、ホストファミリーの家に行った。そこの高校に入学し大学まで行くつもりだったらしい。
「そしたらファミリーの息子が姉のことを好きになっちゃって、求婚されて、嫌で逃げて帰ってきた。日本に戻り、恋愛しては失恋して、それで傷心旅行でヨーロッパに行ったときに、ドイツ人の彼と知り合って結婚しちゃったんです」
やましたさんが幼少のころ、家のイメージは薄汚れた感じだったという。
「母は掃除が嫌いだし、モノはため込む。身体がそんなに丈夫じゃなくて家事一切が嫌い。お嬢さん育ちなんですね」
やましたさんも特に掃除や片づけが好きでもなかったが、モノがたまっていくのが嫌だった。時々「いらないな」と思ったモノを捨てると、母が「何で捨てるの? モノを大事にしない子ね」と叱られた。
あるとき、やましたさんは台所の引き出しに大量の領収書が詰まっているのを見た。
「その当時は集金人が来て、お金を払うという名残があった時代で、過去何十年分の領収書が取ってあったんですね」
母が言うには、あるとき払ったのに集金人に払ってないと言われて、領収書が出てこなかったからまた払わされたと。
「その悔しい記憶は何十年も前なんですよ。そういうすごく執着の強い人だった。母を見てるとモノのため込みと比例して、不安がどんどん大きくなっていた。不安があるからため込むわけですね」
家の中のどんなモノがどれくらいたまっていて、期間はどれくらいかがわかれば、不安の量が特定できるという。
「母は自分の未来を信じてなかった。未来にまた集金人が来て、お金を払わないといけなくなるんじゃないかというような恐怖を持ちながら生きている。自分の未来にはろくなことが起きない。だからためておく─。そういう思考回路だとわかったんですね」