夢も何もなかったころに出会った「行法哲学」

 やましたさんは、高校を卒業後、早稲田大学文学部に進学する。

「高校時代には、哲学者のエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』とか『夢の精神分析』とかも面白いな、そういう勉強をしたいなとは思ってました。だから専攻したのは社会学科。でも、大学は全然つまんなかった」

 将来の夢も志望も特にない。学業に趣味に、恋愛に、と学生生活を謳歌している同級生たちと比べると、あまり覇気のない学生だったという。そんな彼女を見かねた姉がすすめてくれたのが、当時注目され始めていたヨガだった。

ヨガと出会い、まだ行法についての理解もできなかった20代のころ。だがこの出会いがなければ、断捨離という言葉が生まれることもなかった
ヨガと出会い、まだ行法についての理解もできなかった20代のころ。だがこの出会いがなければ、断捨離という言葉が生まれることもなかった
【写真】「断捨離」を生み出した、やましたさん宅こだわりのキッチン収納スペース

「とはいっても、今の美容や健康を目的としたスタイリッシュなボディワーク主体のヨガとはだいぶ違っていて、呼吸、食、姿勢・動作、思想、環境という、自分の内側と外側からヨガの哲学を実践していく“心身修養”としてのヨガなんですね」

 カルチャーセンターでの授業に始まり、「指導員養成講座」へと進む中で、あるとき、「断行」「捨行」「離行」と呼ばれる「執着を手放すための行法哲学」に出会う。

「例えば、いちばん有名な“断行”は“断食”。水以外一切口にせず、何日も過ごす、忍耐を伴う修行です」

 もちろん当時は「断捨離」という言葉には行きついてはいない。

「断つ行法」「捨てる行法」「離れる行法」という教えはあった。それは行法哲学。つまり行動で身につけていく哲学だった。

「やっぱり東洋的な哲学は“行”なんですね。本で勉強するものではない。行じて身につけていくんです」

 あるとき、先輩に「何を断って、何を捨てて、何から離れるのでしょうか」と聞いたら「それは執着だ」と言う。

「えー、それは無理だよと思った。だけど、納得はしてた。つまり“断捨離”という行をつまんでみた。かじってみた。で、“魅了された。けど苦い。これは丸ごとは食べれないな”と、咀嚼して自分の力にするのは無理だと思った。これは見なかったことにしようと、押し入れに突っ込んだ感じだったんですね」