嫁いだ先は石川県小松市の従兄のもと
大学を卒業した直後、やましたさんは結婚をする。
相手は、石川県小松市にいる5歳年上の従兄だった。
「夏休みとか父の実家の小松に遊びに行ってたんですね。中学生のころから懐いている従兄のお兄ちゃん。つまり、父の姉の息子と結婚したんです。大学4年のとき、小松に遊びに行ったタイミングで、結婚を考えるようになった。一緒にいて楽しかったし、心が楽になったんですね」
大学を卒業したのが3月でその年の11月に結婚。母は「大学まで出したのになんであんな田舎に、父親の実家みたいなところに行くんだ」と激怒したという。
夫は歯科技工業。
「天然歯にそっくりな歯を作ることで知られていて、当時は夫にしかできない技術だといわれていましたね」
東京の大学生だった女性が突然、北陸の町の嫁になる。これは大変なことだろう。
「私はいわゆる核家族で自由に育っているわけですよ。それが突然、田舎の価値観と出会う。村や町の人が世話を焼いてくる、『村姑』『町姑』という言葉があるような古い町でした。伝統文化があって、それは好きでしたけど。古いお祭りがあって、町家でね」
町家とは、店舗付きの民家。間口が狭く、奥に広い。
「で、お金持ちの家には蔵がある。うちはなかったんだけど。隣の家にも蔵はなくて、そこの奥さんと話していると、“蔵のあるうちはいいわね。いらんモン(必要ないモノ)もとっておけるし”と言う。驚いた。“何でいらんモンを取っておくために蔵を欲しがるんだ?”。いらないモノはいらないでしょ(笑)」
衣類の片づけで開眼。これが断捨離なんだ!
やましたさんは、家事の傍ら、近所の奥さんたちにヨガを教えるようになっていた。
「ヨガの指導員は、大学4年からやっていましたから。嫁いでからも“ここの奥さん、ヨガを教えてくれる”とすぐに人気になって、どんどん人が集まってきたんですね。婦人会などいろんなところで教えてくれ、となっていきました。当時はヨガを教える人なんていないですからね。田舎は他所者を嫌うんだけど、東京は別なんです。東京の人には興味があるし、私は(父の出身地という)縁がありましたからね。だからすぐに溶け込んでいけた」
町を歩いていても、どこへ行ってもたちまち生徒さんと会う。買い物してても「あ、先生!」と声をかけられるほどになっていた。そんな毎日を送っていたある日。
カリスマ的なヨガの指導者であった沖正弘氏が急逝し、静岡県三島市で道場葬が行われた。その帰り道、先輩のヨガの先生にやましたさんはこんなことを呟いた。
「断捨離と言われても無理ですよね。執着をバッサリと捨てて離れるなんて」
すると先輩は、
「そうだよな。わが家の洋服だんすだって、着ない服でギチギチで、なかなか始末がつけられないんだからな」
あ! その言葉に、やましたさんは閃いた。
「女性って季節の変わり目になると、“着る服がない”と言うんです。でもあるんだよ、実際は。クローゼットの中にはいっぱい入っている。それは、正確に言い換えると“着たくない服はいっぱいあるけど、着たいと思う服はない。それで着る服がない”という意味。たんすの中にはあるけど、心の中にはないということなんですね」
ではなぜ、着たくない服がそこにたまっているのか。
「けっこう高かったから」
「せっかく買ったのだから」
「いつか着るときが来るかもしれないから」……。
その当時、やましたさん自身、衣類の片づけに手をこまねいていたのだ。
「これは過去への思いと未来への期待の執着だ。それが可視化されているんじゃないか、と瞬時にわかった。ぎっしり詰まった服こそが、私が抱える“執着心”なのではないかと気づいた。何だ、ここから始めればいいんだ!」
とはいえ、最初は不要な服を手放す作業は難儀なものだった。それでも、モノを捨てることの後ろめたさや心苦しさを受け止めながらも、少しずつ手放すことを続けるうちに、次第に心が軽くなり、言い知れぬ爽快感が込み上げてきた。これが、断捨離という引き算の解決法の実感だった。