歌江姉ちゃんがバンドマンと恋仲に
昭和20(1945)年、母が結核で亡くなった。
「なんとか死に目にはあえましたけど、実の母とはあまり一緒に暮らしてこれなかったので、思い出があまりなくて……。それからずっと私を世話してくれてた叔母が父の後添いに来て、新しいお母さんになってくれたんです。ウチは小さいころからなじんでるし大事にしてもらったので、幸せでした。歌江姉ちゃんは複雑な気持ちやったみたいですけどね」
その年の8月に終戦。花江さんは呼び戻され、歌江さん照枝さんの少女漫才と花江さんの歌の二枚看板で、一緒に公演を打つようになった。
ところが、昭和23(1948)年、歌江さんが突然離脱。
「歌江姉ちゃんはバンドマンと恋仲になって。お父さんに大反対されたんですけどね。勘当同然で結婚しはって。一座を出ていくことになってしもたんです」
歌江さんの著書によると、当時は合法だった「ヒロポン」の中毒にかかっていて、その療養もしなければならない状態だったようだ。
歌江さんと照枝さんとの漫才コンビは解散。そこで妹の花江さんが代わりに、照枝さんと漫才をすることになった。
「私、漫才嫌いやったんです。なのにやらなあかんようになったから、悲しくて。当時は、漫才はややこしい顔の人が見た目をネタに笑いをとるもんと思ってたし(笑)、私は歌のほうが好きやったから。けど、断れない性分やしね」
すでに漫才師として人気だった照枝さん、歌の上手な花江さんの新コンビ。これがさっぱり売れなかった─。
構成・文/伊藤愛子●いとう・あいこ 人物取材を専門としてきたライター。お笑い関係の執筆も多く、生で見たライブは1000を超える。著書は『ダウンタウンの理由。』など