そんな中、相方の木下が後輩にペットボトルを投げつけるなどのパワハラをしていたと'19年に報じられ、'20年に松竹芸能を退所することに。コンビでの共演はできなくなってしまった。
木下の退社後にコンビで呼んでくれた大物俳優
「そんなときでも『徹座』には呼んでいただいて、“木下がいないなら、一緒に司会しよう”と声をかけてくれました。そのときから、徹さんはとにかく“木下ともう1回コントしなさい。それまで待ってるから”って」
その後、木下を事務所に復帰させるべく奔走したが、昨年、木本も退所した。
「徹さんが父親みたいに、いろんな芸人に“木本としゃべってあげて。木本は今こんな状態だから。安心して”って言ってくれていて……。みんなが集まるときには“いい投資案件あるんだけど”と、笑いにしてくださったり。
僕らがいない場所でも、みんなの中に常に僕とか木下を存在させてくれました。僕には“とにかく待ってるから。大変だろうけど、コンビが復活する日を何年でも待つから”と言ってくれて」
食事に行く約束もしていたが、叶わないまま徹さんはこの世を去った。
「親しい人だけが、葬儀場に安置された徹さんに会うことができました。特別に誰もいない時間帯に“TKOで会ってあげて”と呼んでくださって。そのときにやっと、徹さんのところにコンビで行けたんですよ。
“すいません、徹さん。こんなタイミングで、コンビでやっと来れました”って。それが、本当につらくて。横たわっている徹さんにお会いできて、つらかったんですけど、それすらなかったら、きっと、もっとつらかった……」
お別れの会にも、コンビで参列した。
「会場に着いたら“反省”って書いたTシャツを用意してもらっていて、それを着ました。セレモニーが終わると、タレントやスタッフなど、業界の人たちがいらっしゃる中に呼ばれて、そこに郁恵さんも来てくださって。
徹さんに向かって、“『徹座』ファイナルに、TKOも出していいですかー?”と、関係者の方が呼びかけると、郁恵さんが“いいよー! 徹が言ってるー!”って。それで、9月にやっと、徹さんがずっと待ってくださっていた“コンビ”で、『徹座』に出ることになりました」