その当時、鶴太郎も出演し、爆発的な人気を誇っていたのが『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)だ。
持ちネタのマッチものまね誕生秘話
「『ひょうきん族』は、かなりの制作費がかかっていたと思うんですよ。セットだって、今のバラエティーで考えられないぐらいすごかった。ドラマのパロディーコントをやるときには、ほとんど同じセットを作っていましたね。本物に近いから、やっぱり気持ちも入ります」
この番組で誕生したのが、往年の持ちネタである、マッチこと近藤真彦のモノマネだ。
「もともと、マッチのモノマネをしたことはなかったんです。マッチがとにかく大人気で、しょっちゅう『ザ・ベストテン』で1位になるから、『ひょうきんベストテン』というパロディーの中で“鶴ちゃん、マッチやってくれ”ってむちゃ振りされて。
収録までの3、4日間で『ギンギラギンにさりげなく』を覚えてマッチをやるという“即席”だったんですよ」
そのため、当初はモノマネのクオリティーに自信はなかったそう。
「それでも、マッチのマネをしながらセットを壊したり、派手に暴れるというキャラクターがウケたんですよ。第1回の台本には“大木の下敷きになってマッチ死ぬ”って書いてありましたから。
死んだので、もう次はないと思っていたら、好評だったので“またやろう”となって、鉄板で焼かれたり……とにかく最後は死ぬ。それを10年間やりました。もはや、ゾンビですよ(笑)」
収録は、常に危険と隣り合わせ。
「いちばん危なかったのは海で流されたときですね」
命の危機すら感じるものだった。
「海の上でいかだに乗って、マッチの『ふられてBANZAI』という曲を歌っているときに、大きな波がきて。手を離して歌っていたので、私は海に落ちて、いかだだけ流されて……。とにかくすごい時化で、本当に溺れそうになったんです」
しかし、スタッフの助けはなく……。
「たまたま近くにいた漁船が助けてくれました。スタッフたちは、危ないとすら思ってなかったらしくて(笑)。“ウケるな~、鶴ちゃん”って、私が面白いことをやっていると思っていたようです。
結局、助けられたところは放送されていませんが、そのままオンエアされました。現代のコンプラでは絶対できないと思います(笑)」