なんと交際0日で漫才師との結婚を決意
2010年、『星企画』に間借りする形で、植野は『まめかな』を立ち上げた。翌2011年2月には、東京・恵比寿の、春になると桜舞い散る明治通り沿いに、オフィスを構える。机ひとつに電話が1本だけの殺風景な空間。
「人を雇うことなどを含め、師匠には一切相談しませんでした。何かあったときだけの事後報告だけ」と、円楽師に頼りすぎない関係を、立ち上げ段階から規定していた。
起業する植野。子どものころ、大人になったらなりたい職業の具体像はなかったが、
「すごく自立した女性になりたかった。その意味では、叶ったかな」と、自身のこれまでに及第点をつける。
流通業界を脱サラし、地元・京丹後市で呉服店を始めた父。女優や作家の妻らが顧客に名を連ねた。4人きょうだいの長女として生まれた植野の一つ下には双子の妹、六つ下には弟がいる。
「小さなころから絹の匂いの中で育った」という植野に決定的な影響を与えた人物に、叔母の存在がある。
「3年前に、独身のまま亡くなりましたが、すごく強い女性でした。あくが強く、嫌いな人は大嫌い、という人。京都や金沢で修業した友禅染の作家で、食べていく技術があった。自分の意見を言って、誰かと同じだから、誰かがやっているから、ということで生きちゃいけない、とずっと叩き込まれたんです」と、植野の根っこへの影響を明かす。
ジェンダーという概念がない時代に
小学生低学年のとき、こんなことがあった。絵の具箱の色を何にするか。今と違って当時は、女の子は赤やピンク、男の子は黒や青、といった刷り込みがまかり通っていた。クラスの女子が全員、赤い絵の具箱を購入する中、植野は1人、青を選んだ。
「女の子は赤、と決まっていることがおかしいと思って、青を選んだんです」と選択理由を振り返る植野だが、「やっぱりつらいんですよ。みんな赤で、自分だけ青っていうのが。あれはきつかったですね。でも耐えました。自分で選んだのだからと」
ジェンダーという概念さえまだない、約35年前の小学生。両親は娘の考えを尊重し、見守ってくれた。「ただ、水彩は好きにならなかったですね」。そんな副作用も、今となってはほろ苦い笑い話だ。
植野の根っからの意識の高さについて、夫で、漫才コンビ『母心』の嶋川武秀(45)は、「自分は富山の高岡で育って、父と母しか見ていないので、父が母の名前を呼び捨てにして、母が『お父さん』と呼ぶのが当たり前と思っていました。それにならって『佳奈』と呼び始めたらギクシャクし始めて、人前では『佳奈さん』と呼び、今は子どもがいるので『ママ』と呼んでいます」と打ち明ける。「2人のときに、『佳奈』って呼ぼうかなと思うんですけど、なかなか難しい問題です」
2012年、2人はいわゆる“交際0日婚”で家族になった。円楽師だけではなく、色物芸人も所属させたいと考えた植野は、漫才師・おぼん・こぼんのマネージャーに「いいのがいるよ」と耳打ちされて、母心の存在を知った。最初はあいさつを交わし、2度目は出演イベントを見学した。そして3度目、浅草で母心の2人と植野は食事をしていた。
そのさなか、嶋川が、「結婚しましょう」と唐突に切り出した。酔っぱらっていた勢いにも後押しされ、植野は「ハイ」と即答。それで決まった。後日、経緯を聞いた柳家三三は「驚きましたけど、“らしい”っちゃ“らしい”」と、想像の上を行く植野ならではの決断だと受け止めた。
嶋川は漫才師として高座に上がる一方、富山県議会議員を務める。夫に出馬をすすめたのも植野だった。
「夫は地元大好き、家族大好きで、何かにつけ富山に帰る。そんな中、高岡市長が選挙に出馬しないというニュースを知って、本人が地元で周囲に相談したら、いきなり市長とは何事だ、まずは市議だ、市議なら応援してやるということになりました」
2021年10月31日に投開票が行われた高岡市議選でトップ当選。1年半で辞職し、今年4月9日に投開票が行われた富山県議選に出馬。またしてもトップ当選を果たした。
「奥さんの理解がなければ、選挙はとてもじゃないけど戦えない。県議選のときは、街頭や集会で何回も応援演説を全力でやりました。楽しいって言っていましたよ。市議選に立つときは円楽師匠にも、どぶさらいから行くんなら応援してやるって言ってもらえて、応援演説にも来てもらいました。間接的に妻に聞きましたが『あいつ、持ってる』って。すごくうれしかったですね」(嶋川)