育児に仕事にハードすぎて死にそうな毎日

円楽師がプロデュースを務めた『博多・天神落語まつり』は今年も11月に開催
円楽師がプロデュースを務めた『博多・天神落語まつり』は今年も11月に開催
【写真・三遊亭円楽さん一周忌】昨年12月のお別れの会で笑点メンバーと

「私に対する感謝が足らない。感謝の言葉はその都度ありますが、トータルでもっと感謝しろよ、と言いたい」と植野が当てこする対象がいる。夫の嶋川だ。

 富山県議を務める嶋川は「ひと月のうち25日は富山で、東京は4、5日。家事はワンオペ。これは負担をかけている以外の何物でもなくて」と恐縮する。

 植野の朝は、きっかり6時15分に始まる。

「寝る時間を7時間確保しないとダメ。以前は6時間切るぐらいでも仕事をしていましたけど、今は無理」

 睡眠時間をすべてに最優先させ、7歳の長男、3歳の長女との暮らしを組み立てる。

「起きると洗濯物ができているのでそれを畳んで、顔を洗って、朝ごはんを作って、子どもを起こして食べさせて、支度をさせて、忘れ物がないかチェックして上の子を送り出し、下の子を保育園に連れて行って、一回帰宅して、掃除して、出社して、仕事をして、朝のうちに晩ごはんの仕込みができなかったら、お昼休みに帰宅し晩ごはんを作って、息子が事務所に戻ってくるので宿題をやらせて、6時半まで仕事をして、保育園に娘を迎えに行って、10分で晩ごはんを作って7時に食べさせ宿題を見て、お風呂に入れ、歯磨きさせて、連絡帳を見て……死にそうです。

 子どもを寝かせると10時ぐらいになっちゃう。そこから1時間15分で、子どもの習い事のスケジュールの確認と、翌日の献立を考えて新聞を読んだり。自分の時間はそれだけです。テレビドラマも一切見ない、実質的にはシングルマザーです」

 立て板に水で日常を描写する。

 一方の夫は「頑張り屋さんでしょ。だから頼らないんですよ。それがね、周りとしてはもどかしい」と、政治家の答弁のように冷静に言葉を選ぶが、「どうしようもないときは、富山から私が子どもを迎えに行って、1日2日面倒を見て、また戻しに行きます。時間も、交通費も大変。それでもどうにもならんというときは、京都の実家からお母さんに来てもらったりして、シッター制度はフル活用しています」こう対策を明かす。

 植野も「働くほど出費が多くなる」と嘆くが、東日本大震災直後に円楽師のスケジュールが数か月間空白になったりしたことを除けば、おおむね業務は順調に推移していた。

 確かに順調だった。あの日の、あの電話を受けるまでは。

不倫発覚! 会社設立以来の最大の危機

謝罪会見でたくさんのリポーターに囲まれた円楽師
謝罪会見でたくさんのリポーターに囲まれた円楽師

 2016年6月13日、植野はスポンサー主催による東北地方の演芸ツアーの初日を仕切るために、午前中に福島入りしていた。2時間後の新幹線に、円楽師と現場マネージャーは乗車する段取りだった。そろそろ東京駅を発つ時間か、と植野が時計を確認したときスマホに、『三遊亭円楽』の着信表示が。

「第一声が『FRIDAYにやられた』でした。これまで聞いたこともない、死にそうな声でした。終わった……と思いましたけど励ましつつ、対策を立てますから、お待ちしています、と」

 植野の危機管理能力が作動し、ミッション・インポッシブルが切って落とされた。

 数時間後、最初の公演会場にやってきた円楽師の様子を、植野が覚えている。

「顔は土気色。やられちゃった感がすごいありましたね。師匠は楽屋で突っ伏したまま。高座はちゃんと務め、打ち上げにも参加しましたけど、いつもほど陽気ではない。桂雀々師匠に『変だね、六代目』と言われたりしていました」

 ツアー中、植野の背中には、乳飲み子の長男がいた。子どもを背負いつつ、ツアーの一行10数人を率いて移動しながら、先々で公演を仕切り、終われば打ち上げ。その合間に、スポンサーに謝りの電話を入れ、『笑点』のプロデューサーにも状況を伝え謝罪会見場を探し、事務所スタッフとリモートで会議を開き、謝罪会見の段取りをするという八面六臂のフルスロットル。

「ツアー最終日の木曜日におかみさん(円楽夫人)に電話して、『あした会見をします』と伝えました。東京駅にはマスコミが張っているかもしれないので、大宮駅で下車したい。ついては車を出してください、と。まさにミッション・インポッシブル。そういうの思いついちゃうんですよね。そこから師匠をホテルに入れて1泊させて、翌日の会見に臨みました」

 今だから明かせる、当時の切羽詰まった状況だ。

 謝罪会見当日、よくないことが重なった。タレントのベッキーが円楽師に先駆けて不倫釈明会見を開いたが、質疑応答をしなかったため、取材陣は不満たらたら。その現場から流れてきた芸能リポーターや記者は皆カリカリしていたという。彼らを和ませたのは、植野のひと言だった。

 取材陣に段取りを説明しているときに「円楽師匠はお子さんは1人ですか」と聞かれた。植野はとっさに「隠し子がいなければ、私が知る限り1人です」。それが取材陣を笑わせ緊張を緩和させ、空気が一変。円楽師とバトンタッチする際、植野は「温めときましたよ」と伝えたそう。

 会見を眺めていた植野は、円楽師のしゃべりや表情から、うまく乗り切れる、と確信したという。

「しゃべり始めると、口から生まれたような人だから、すごくリラックスしていくのがわかりました。緊張はしていましたが、しゃべることで人との距離を親密に縮められる人」という植野の予感はずばり的中し、翌日のワイドショーやスポーツ紙は好意的に報道し、番組降板などの大きな実害もなく、収拾できた。

「そのときも、師匠からの謝罪や感謝の言葉はなかったですね。よく乗り切ったと、自分で自分を褒めましたけど」