問題作『ボダ子』のクズ主人公は私です
「自分都合のド腐れ畜生な生きざま、主人公の大西浩平は100%私です」
と、赤松自身が語る問題作が『ボダ子』だ。赤松の4作目の長編小説で、彼の実体験をもとに描かれている。
同作には中学2年生で境界性人格障害(通称ボーダー)と診断され、リストカットや万引きを繰り返す少女が登場する。赤松の3回目の結婚で生まれた娘がモデルだ。
小説の中で主人公の浩平は、錯乱した娘の口に残ったパキシル(抗うつ剤)を指で掻き出す。あまりに凄惨な父娘の光景。仕事にかまけて娘の状況を知らずにいた浩平に、妻の悦子は叫ぶ。《あの娘はな、いつあんたに捨てられるかもしれんて、ずっと不安で暮らしてきたんや。それがあの娘の精神壊したんやんか!》と─。実の娘について語る赤松の口は重い。
「消費者金融を辞めた後、父親の紹介でゴルフ場のコース管理の仕事を始めまして。年収1億円になったとき、会社にせな、と。それで品質管理のビジネスモデル特許を取得し起業。35歳のときです。
2年後には従業員100人を超えて、年商13億円に到達しました。年収は2400万円くらい。当時は北海道から沖縄まで十数か所のゴルフ場を回って、多いときで週に3~4回新幹線に乗っていました。バブルは弾けていましたが、わが世の春でした」
まさに赤松利市のイケイケどんどんの時代だ。何よりも仕事を優先していた。
「一番すごかったんは、奈良のゴルフ場の仕事かな。開発前に、住民代表の何人かを説得してくれたら、成功報酬で600万円払うと。今日、全員集めてるから、やってくれと。“私一人でやります”と言って、1時間で住民を説得しました。あのときは時給600万。稼いでみて思ったんは、お金って守ったり、ガツガツせんでもええんやなと。考え方が変わりました」
しかし、経済的な成功の裏で娘は精神を病んでいた。当時、3人目の妻とはすでに離婚し4人目の妻と結婚していた赤松だったが、3人目の元妻は娘と向き合う気がないようだ。赤松は4人目の妻に別れを告げ、娘と2人、ワンルームマンションでの暮らしを決意する。境界性人格障害は、20歳までの自殺率が1割を超す。心配で仕事をセーブし、娘に寄り添い暮らす日々が1年も続いたころ、赤松は自分の会社を失った。くしくも東日本大震災の年だった。
娘のために、まだ金が必要だった。仙台でゼネコンとゴルフ場開発をした経験があった赤松は石巻に向かう。
「まずは土木作業員をやりましたが、復興バブルというほど収入にならなかった。その後は南相馬に移って、除染作業に従事しました。除染作業の現場はかなりヤバかった。よそで働けないような流れ者や反社の人間もいました」
全身入れ墨の人や、小指がない人、覚醒剤のフラッシュバックに襲われる人も。
「水田除染といって、表土を剥ぎ取ってから入れ替える作業を請け負いました。人集めから任されたんですが、思うように集まらないし、現場は下請けのしわ寄せでめちゃくちゃ。ゼネコンや元請けの人たちは、除染作業員を人間扱いしていないんで」
被災地の復興ビジネスの闇を目にした赤松は、除染作業員宿舎に荷物を置いたまま、夜行バスで逃亡する。逃げ落ちた先は浅草の漫画喫茶だ。所持金は5000円だった。